テキスト1970
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① テキストの原稿を書きかさねているうちに、いつしか季節は八月、夏の万になった。私の占斎の窓の向うには庭の緑の樹木に入りまじつて、むくげのうす紅の花、ききようの紫しまかやの白く緑の葉、鬼百合の朱色の花もようやく色づきはじめている。今riは七月十三口、残りの梅雨が降りみ降らずみの細雨となって、緑の木の業が明る<-Wiすがすがしくみえる。ここ数11のうちに本涸子の夏がやつてきて、切り花も一層、日もちが悪くなるだろう。夏のいけばなは日もちのよいことを顧うよりは、新鮮な緑の中に少し色を添える気持ちの、小贔の花を交えてさっぱりとした、すがすがしさを楽しむのがよい。分似を少なく括けて、たえず新しい花をとりかえる。小品の花器に一、二本の花を、朝ごとにとりかえてゆくという様な考え方が狸想的といえる。土に咲く自然の花を考えてみる。夏に咲く花はムクゲ、クチナシ、オミナェシ、キキョウ、センノウ、ガンビ、グラジオラス、ダリア、アサガオ、ヒルガオ、その他いろいろあ専渓るだろうが、切りばなにすると日持ちが悪いが、土に咲く自然のままだと次々に花がさきつづいて、いつはてるとも党えないほど、ながく咲きつづけて行く。水草の辿、睡辿、河骨の花のように、たっぷりと水分を、とつて_rl-日の花をひと反中、さかせてつきることがない。椛花一日、あさがお、ゆうがお、いずれもその日その花を咲き終nのつて、また、次の日を新しい花に託してゆく。グラジオラス、ダリアも花の一輪の花の生命は短かいが、一本の茅の中につぎつぎに咲くっぽみを岳えて、強い及の協の111にいつまでもいつまでも咲きつづけて行く。春や秋の花にくらべて考えると、及の化は土にある勘合も、一輪の花そのものは時間的に化命は短かいが次の花、次の花とさきかえさきつづけるところに個性があると1心う。これを、いけばなの場合も同じ様に名えてみよう。たえず新しい花をとりかえる。巾々やりにくいことではあるが、ことに都会に什む人逹には胃うべくして行ないがたい、ということになるのだが、同じ花でもよい、庭の花を少じずつさし料えてゆくことができれば、どんなに仕活をすがすがしくすることができるだろう。臣の花は花の美しさを望むよりも、常に新鮮であること、これは花を活ける人のたしなみともいえることである。いけばな夏の花1毎月1回発行桑原専慶流No. 86 編集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元1970年8月発行

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