テキスト1970
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京都嵐山の圭(写真・小西進)どんよりとして、やがて雪となるであろう二月のあるH、保津川の水はひつそりとして、山の霧だけがきれぎれに動いてゆく。「冬栃のはれ立て迷う水辺かな」という、だれだったかの旬を思い出しながら、この写真をながめる。絵はがきにあるような情景だけれど、白く賠い栃の流れと、川舟の静けさが感じられて、その対照が美しい。今日は2月5日、窓の外は冬の風が音をたてて、粉雪が白くちりぢりに動いている。寒い日である。庭の緑辞梅(りよくがくばい)がようやく市131を白くふくらませて、その近くの寒椿の紅色の花、鉢植の福寿草の黄色が咲き出したので、玄関の戸をひらいてながめる。どうやら春の季節が始まったらしい。HIごとに木の葉も緑を増すことであろう。(専渓)松とぼけの2師を広口の花耽に活けた。雄松の緑の美しいものに朱色の花をつけたぽけの花。あしらいの草花をつけないで、この二種で調子をとつてみた。まん中が少しすく様にみえるが、実際の作品ではそれほどでもなく、少し調子の変った瓶花となった。松に桜、梅と椿、桜とキ見牙柳、というような配合は、木ものと木ものの二種配合であるが、案外、面白い味わいのあるものである。木ものには草花をつけようとする常識からはなれて、ときどきこんな配合をするのもよい。秋の実ものと紅葉の二種、たとえばかりんの黄色の実と黄菜の山木、緑葉の木、そんな考え方も面白いだろう。春の花木に緑の葉の形の変つたものをつける、というのも変化があってよいと息う。8 ... R 月

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