テキスト1970
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(瓶花)あずさすいせんあずさの木は「きささげ」ともいう。のうぜんかずら科の落葉裔木である。かわらぎり、ささげぎりともいわれるが、葉が桐の葉とよく似ているためであろう。この写真の瓶花のように初夏の頃にささげの様な細長い実をつける木である。秋になると実が褐色に枯れ、雅趣があり渋い趣味の瓶花の材料として面白いものである。この写真ではすいせんをつけて花器は青磁の広口の花器に活けたが、自然では下へさがる実を横に使って、水仙の立体と組合わせると変化のある構成となる。菊、椿、バラなどとも調和がよいと思う。あずさの木は昔、弓の材料に使った木だといわれているのだが、「まゆみ」という紅色の実のなる木も「真弓」などといつて弓を作る材料に用いたものらしい。いずれも日本の歴史の中に出てくる古い木の名である。謡曲井筒の文章の中に「ま弓、つき弓、年をへて、今は昔に業平の」という歌詞があるが、このまゆみというのが、この木を意味しているのである。あずさ(梓)の昔、武人の弓をこの木で作ったという、伝統生花の会名としてはまことは適切というので「梓」の会名が定った。同人は六名。において催された。出品九名、作品数は四十二瓶であった。家元の花席を八席にわけて、それぞれ5瓶ずつの出品となった。ゅったりとした花席は花の重なることもなく一瓶ず日23日、京都六角の桑原冨春軒柔らかく強いあずさの木、そその第1回の生花展が11月22賛助、桑原専渓、隆吉、素子。「梓」岩凸閉寿山平襄尚今井田脱文牧艇恭竹中蔑敏中村慶寿生花の会11月22日23日つ落若きのある感じでみることができた。伝統生花だけのいけばな展というのは、ほとんどまれであるし、花展である以上は、鑑賞するために適切な陳列も必要であり、それが生花ばかりの花展となると、変化のある花器と花形これが必要となつてくる。そんな意味において、出品同人の方にも苦心があっただろうが、結果として、花器の選択とそれに調和した古典花が活けられてあったこと、桑原専疫流の伝統花を四十瓶もあつめて陳列されたこと、それぞれの作品に技術的に級れたものが多かったことそんな点において成功した花展であったと思う。2日問を通じて来会の方600名を迎え、趣味の雅会としてはまことに盛会であった。... 桑原素子作12

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