テキスト1970
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いけばな展に行くと随分変った作品をみることがある。最近の花展には段々と落ちついた作品が多くなり10年ほど以前の前衛作品の流行時代とはすつかり調子が変つて、いけばならしいいけばなが多くなった。反省期に入ったのだという説もあるが私のみるところによると「反省」というような根拠のあるものではなくて、一種の流行、追随性のいけばなが、いわゆる前衛作品から伝統花や瓶花に流行のところを変えたにすぎないものと思つている。私述のいけばなといけばなを出発点とする造形作品は、それぞれの目標と技術と信念をもつてつくられるものであるから、ある時期にはモダンアートが流行し、ある時期にはクラシックが流行するなどということは、花道界全般としてあまりよい條向ではない。作品は、その場所に適した性質の作品がつくられるべきであり、ことに花展の作品は、作者の考え方、技術とともに、その会場において、作者が自分の作品を通じて、目分の信念をのべようとするるから、伝統花であろうと、前衛作品であろうと、その種別形式には問匙はなく、目分の信念を発表するような強い態度の作品であるべきだ、と私は考えている。助つて「流行」などとはなく、俊れた作品を作るために努力することが、その真実であろう―つの機会であ3・一切関係10月に開催された「桑原専慶流展」に、ここに掲載した二つの作品が出品されたことは皆さんの記億に残ってしると息う。―つは桑原隆吉の創作的な生花‘―つは桑原素子の新しい考案による瓶花である。この二つの作品について、作者の考え方を聴取して、その目標のあるところをお仏えしよう。R⑪の作品とも写真ではその実際がわかりにくいが、⑧の隆吉の仕花は(しらかば)(まきの枯実)(紅築のなつはぜ)の三種である。しらかばは、花器の口よりニメーターほどの人きさで、しかも自然のままの枝振りのよいものを選んで、これにまきの実の褐色の群りのあるものを添え、緑と紅葉のなつはぜを添えてある。生花としては雄大な感じで、普通には考えられない自然味幽かな作品で、花器の黒禄色とともに、これは掲色を主調とした色彩をもつ作品である。生花としては自由奔放な感覚の作品で、視代の創作生花ともいうべき作品であろう。Rは印度製の金色に彩色のある花瓶に、サンセベリア、ミリオクラタスの緑、デンファーレの浪紅色を加え、天井より澁紺色の提灯6個をこの瓶花の中に加え、装飾効果を考案した飾花である。軽快で新しいアイデアのある作品であるとともに、会揚全体にフレッシ。ュな(感覚をもたらした作品といえる専渓)R いけばな展の出品作@ (会場作品としての特殊性)12

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