テキスト1970
122/136

(いけばな桑原専慶流展出品)(昭和45年10月17日・18日)この展魏会は、予想以上の成功であった。来賓の皆さんにもおほめをいただいたし、出品の皆さんのどなたにも充分満足していただいたことを嬉しく思つています。この花展に出品した私の作品は、大作4点であったが、どれも3メーター以上の大きい作品で、私として精魂をこめた作品であった。この4作は私のこれまでの多くの出品作の中でも、いつまでも記録に残すことのできるような、自信のもてる作品であったことを幸せに思つている。花器と花材と、計画と、生込み日までの準備、その他いろいろの条件が実にうまく行って、気持ちよくすらすらと思うままの作品が作れたことが、この結果をもたらせたのだが、なにしろ、生込み日の混雑の中で、時間を区切られて、しかも花展の代表作として、必ず俊れたものを作らねばならぬという責任は、全く大変なことである。とにかく、いろいろの批判はあるとしても、自分で満足できるような作品を出品できたことは、まことに幸せであった。ここに掲載したのは、その出品作の一っ、竹、梅、つげ、椿、ストレチア、かいどうざくらの実、松、を配合した「立花」である。花器は高山地方でさがし出してきた、大きい臼で、恐らく百年以上は経過した古さびた味わいの豪快な感じの器である。口辺は直径1メーター20センチ、高さ60センチ程度、かなり璽量のある花器である。花席の広さは横3間余、奥行2問程度でかなり広い。高さは、中心の竹の上まで2メーター50程度はある大作である。花形は「行の草、左流しの立花」で、自然風をとり入れた。室町から桃山時代の感覚の初期立花の作風を基準として作りあげた。作成の時間は2時問程度であったと息う。広大な会場に調和するように小細工をしないで、どんどんと積み重ねて行くように順序よく仕事をはこんだ。花器に調和した強さと壮大な感じが出たのは、その押しの強さと仕事の手早さであったと思う。孟宗竹を真に入れているので、水際にふしを見せてある。(古式の様に)生込みの二、三日以前に竹中慶敏氏の協力によって、向日町の植木畑へ行って、海棠ざくらの実つきの木をみつけ、つげの木をみつけたときに私の棉想は決定したのだった。実に幸運な作品であったと感謝している次第である。(専渓)桑原専漢作立苫花か12

元のページ  ../index.html#122

このブックを見る