テキスト1970
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いけばなの先生と花屋は、切っても切れぬ関係にある。お医者さんと薬屋、画家と絵具材料屋というのと同じ関係にある。いけばなを仕事とする以上は必ず花屋にご厄介にならざるを得ない。それだけによい花屋に日頃から買いつけておくことが必要である。どんな品ものを買うにしても、一般的な買いものの場合は別として、自分の仕事に関係のあるような大切な買いものは、購入先というものを、よほど考えて選んでおかないと、いざというときに困ることが起つてくる。この前のテキストにもそんなことを書いた様に思うのだが、花屋という商売は普通の商売とは大分違ったところがある。個人的に普通に花を買うという場合、つまり、家庭の花を買う場合や、大きいお店のいけばなやその他の特別の花の入用の場合は、これは普通の買いもの、雑貨や食料品を買うのと違いはないのだが、特殊な花を注文するとき、ことにいけばな展の材料を買うという様な場合には、他の商売にはない特別な事情がからんでくる。花屋の選択もちろん、こんな場合は、一般のいわゆるしろうとのお客様の場合は関係のないことだが、花迫家、つまり花の先生方が、花屋に特別の注文をするときは事情がすつかり変つてくる。大体、花という商品は、ある場合には金銭ではかることの出来ないむづかしい状態が、常に陸の様にそうてあるものである。どんなにお金を出しても咲かない花は咲かないし、とり寄せようとしてもどうにもならない事情がある場合も多い。春の二月、三月に女郎花やすいれんの花がみられないのは当然で、これは自然の季節ものである以上は注文する方が無理だけれど、その季節の花であるのにどうしても手に入らないという場合もよくあることである。そんな特別な事情があって、花屋の努力をたのむより、処置のとり様のない場合には、花屋の誠意と努力の如何によって、その花が得られることになるのだから、これは普通の商品とは、いささか性質の違うところが多いということが出来る。したがつて買う側の私達も常に柔軟な考え方で、自分の欲しいと思うものがなかったなれば、予定をすぐ変更して手に入る材料で取合せを変える様な態度をもつことが大切である。展覧会に出品の材料の場合、ことにこんな事情が起つてくる。この場合に必要なことは、誠意のある花屋、ほんとのくろうとの花屋、趣味を理解する花屋、利益一辺倒でない花屋、こんな性格のよい花屋と常に取引をしておくことが必要である。花展のときたよりになる花屋というものは、うほどしかないものである。いざ、必要というとき、どこへ行けばどんな材料があるかということを、常々研究しておくことも花道家として、実に大切なことである。たとえば季節はずれに洋蘭の花や、南方禎物を確実に手に入れることの出来るようなルート(もちろん飛行機を利用してとりよせさせる)に確保しておくような用意は、一流の花道家としては必ず準備しておかねばならぬことである。随分、大変な話となったけれど、それほど特殊な商品であるだけに、普通のものを買うのとは、わけが違うし、花屋の方も納品の品ものと、時間を正しく守らねばならぬし、その材料の品質、鮮度についても責任をしつかりもてる様な花屋でないと、平索からつきあうことが出来ないのは当然である。花展になるといつも痛切に感じるのは花屋の問題である。辿いお話だけれど、花道家の皆さんにわかりすぎたお話を重ねて書いてみた。(専)一都市に何軒といを、常一般には縁.... ....

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