テキスト1970
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ー,1, 花器にいのちがあるとすれば、いつまでもその花鼎が生きながらえて、花をさすたびごとにいよいよ愛祈を増すことだろうし、不布にして何かの機会に、こわれてしまった花器には、そのときを111心い起して、その最後の棺やかさが一屈いとおしく慇じられ、深い息い出を心にとめるものである。私のながい花道生活の中でも、ここでお話する二つの「花沿の話」は、それぞれ変った運命をもつ花器の物語であり、また感激をともなう話でもあるので、私の心に秘めておいたことではあるのだが、おもい出の扉をひらいて、記してみようと111心うのです。なんだか秘密めいたお話のようにきこえるのですが、それほどのことではありませんから安心して気軽に読んで下さい。さて、第一のお話をしましよう。このページに生花(まんさく、約)を活けた萬足の水盤についてのお話なのですが、この花器は「染附猫足の水盤」で古風な形の水盤ですが、これは私の父(先代家JL)の遺愛の花器なのです。父の在机中のある年、京都高島屋で流展が催されたことがありました。そのころの蒻島尻は今のような百貨店ではなくて、高級の呉服ものだけを売る名鋪を誇る店で、烏丸通松原に土蔵造りの三階建ての古風な店でしたが、一階のKり口で販物(はきもの)をぬぎ下足札をもらつて、じゅうたんをしきつめた店内を二陪ーニ陪と上つて和服に関係のある呉破拍をまぬがれた、小さい方の花船です。9ページの造形作品の右上部に見えるのがこの花器。(裏而)8 • 花器に生命があるとすれば上の写真は高,1泣屋展の花湘下の写庚は名古屋展の花堺(2個のうちのB)あやう<破壊をまぬがれた花器

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