テキスト1970
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9月に入ると山すその高原地帯に栗の実が大きくなり、いがの色も少し黄ばんで秋のはじめの風雅を見るようになる。いけばなの材料に早い季節の栗を活けて、そえると、いよいよ秋に入ったという感じが深々と身にしみるものである。すすきの尾花、けいとう、ひまわりなど、九月のはじめにはまだ弱々しい感じではあるが、一日一日と冷気を増すにつれて、自然の草木の姿も夏から秋への衣替えをして、私達のいけばなにも、いつしか秋の材料を活けることになり、秋の雅趣をたのしむ季節を迎えることになる。まことに秋は実もの風雅を味わう季節ともいえる。数日以前(9月10日)、亀岡から山を越えて宝塚沿線の川西市まで車を走らせたが、京都の西山の「老の坂」を越えて丹波路へ入ると、街道のところどころに「栗ひろい」という立看板がみえて、うす着の身ごしらえもなんとなく冷歪冷えとして、あわただしい季節のうつりかわりを感じたのであった。今は住宅地弗となった宇治への道の木幡、黄槃の高原地帯には、この季節に「柴栗」といわれる栗の実がめじのとどくかぎりの丘の上に見えて、子供達の遊び場、栗拾いの場所であった。山村の野生の栗は自然にいがを割つて、栗林の草の間に一めんにおおい重なる様に、うず高くつりんどうなどをもる。朝露の時間に栗拾いをするのも山村の興趣といえるだろう。朝鮮へ旅行したときの、なによりのおみやげは「平壌栗」であった。小粒の廿栗は、都会で売つている「天津廿梨」のあの種類の小粒の、渋皮のほとんどないものだったが、たのを、いつまでも私のはるかなる「旅愁」として、その季節になると息い起すのである。さて、ここに活けたのは「柴架、さんぎく」の2種の盛花である。花附は黒褐色の陶器で、新しいデザインの花器だが、和種の材料でも洋花でも中々よく調和する。栗の枝を5本、左右に枝をわけて挿し、右の方へは栗の実を多く使い、左方へは軽やかな枝を入れて、変化を考えてある。中央の前より後方へかけて白花のさんぎく(山菊)を高く入れて、その中に長短を考えて挿した。さんぎくは、野生の山路菊(やまじぎく)の種類で単辮の小菊なのだが、栗の野趣には大輪菊よりも、山菊のほうが目然風な感じがあって調和がよいと思う。いけばなには季節感が大切である。秋に入って架の枝を活けるその気持は、活ける私も見る人逹もほっとして、新しい「秋輿」を感じるものである。三0キロほども麻袋に入れて送らせ(専渓)栗の秋毎月1回発行桑原専慶流編集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元No. 88 いけばな1970年10月発行

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