テキスト1969
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A 人竹と小品の瓶花を二つ並べて考えてみる。―つは豆家罰であり、一っは滑楚簡作な慇じの花である。大作の花はただ大きい派手な感じであるというだけではいけない。その大きい作品の中に、複雑な重なりと、その複雑さを美しく処迎する技法、それからことに必要なのは、大作でないと出すことのできない璽厚な味れい、そんな特殊なもち味が大作の仕命である。大作は小品の引仲しであつてはならない。と、いうことになっているのだが、さてこの作品は、そんなに要領よく作られているだろうか。大作の理想は、例えば園家があつて、その中にある多くの都市町村はまた、それぞれの自治行政を行い、それぞれが、特殊な政治経済を行っている様てつぽうゆりR B に、大作のいけばなの中に多くの部分があつて、それぞれの部分は、それなりの変化とよさを作っており、それらが総合してつの大きい作品をつくりあげる、という考え方が必要なのである。大作は小品の引伸しでなく、の特殊なもち味が必要というのは、この点をさすのであって、形の土にも、色彩の配合技術の上からも、そんな工夫が必要なのである。小品の花は、人れる花葉枝の数も少ないし花器も小さい。小さいけれど、その小さいいけばなの中に、段々とのびて行こうと―つのする感じがなくてはならない。小さい作品の中に大きいひろがりを感じさせる作品、閥かな感じをもつ、それが優れた小品花である。大作として4 大作と小品④ 霊竜桑バラカークリコブーバリヂアタ・一

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