テキスト1969
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て、勿論、形式技法も定つていますが、作者の気持ちで変化のある形を作ります。松の葉組みは立花の巾でもむづかしい技術がいりますし、材料のよいものでないとよいものは作れません。まず、松葉の質のよいものを選択することが第一なので、はるばる遠方まで行って採集することになるのです。一瓶の立花に20枚(―つの葉組を一枚という)程度が必要ですから、一枚作る時間はおよそ一時問、20枚で20時間を要するわけです。これを幹で作った立花の主体に、釘でとりつけ花型をととのえることになりますが、この葉組みだけではなく、自然の枝振りのままのものも配合して作品に仕上げることになります。一個の作品に最小三日間はかかりますから、中々努力を要する仕事です。立花は江戸時代に盛んであったいけばなですが、威厳にみちたその作品の感覚は、武家中心のこの時代の装飾花として適しておったものと考えられます。瓶花に使う松はなるべく枝振りの調子の変ったものが好ましいから、普通にいう老松の枝振りのよいものよりも、どこか調子のはずれた「瓢逸」といった感じのものが適当、といえましよう。かきつばた、はなしようぶは五月より六月へかけて、水辺を彩る花である。かきつばたは紫色がほとんどで、まれには白色の花、白に紫の絞りの種類がある。はなしようぶも原種は紫色なのだが、園芸変種のものがおびただしくあって、千種二千穂と思われるほど、変化の花を見ることはご承知の通りである。和漠三才図会に「紫色を正とす。近頃浅紅のもの、白色のものを出すも、みなこれ変種なり」とあるように、本来は紫色が原種、その他のものは園芸変種が段々と数を増してきたものであろう。亜浪の旬に「こんこんと水は流れて花菖蒲」という句があるが、いかにも、花菖蒲の咲くところに清流が音を立てて、花や葉のゆれ動く様な風景は、日本的な情紹といえる。かきつばた、はなしようぶの原種は、自然に咲く野生の花であるが、比良の八雲が原などに咲く花菖蒲は「野花菖蒲」といって、これと同様に日本各地にある野花菖蒲が、栽培によっていろいろ変種が生まれたものに迩いない。あやめ、かきつばた、はなしようぶは、いずれも「あやめ科」に屈するもので、洋名ではアイリスということになる。これらのあやめの類は日本原産の花で、昔から「玉蝉花」「はなかつみ」などととなえられ、わが国の郷土にしつくりとした情趣をもつ花といえる。「みちのくの浅香の沼の花勝見かつみる人に恋や渡らむ」という歌が古今集にあるが、この花勝見が花菖蒲の雅言である。花菖蒲の栽焙は江戸時代から盛んに行なわれ「江戸花菖蒲」「伊塾花菖蒲」「熊本花菖蒲」は、伝統的に有名であって、三弁の花、六弁の花、九弁の花、八重咲きなど美事な園芸品種がある。私の幼いころ、父から花菖蒲の「六菜」ろくよう「九葉」くよう、などという言葉を教わったのだが、要するに八堕咲きのことだな、と覚えておいたのだが、段々しらべてみると、これは「六つの葉とは、六枚の花弁をさす」の花びらの菖蒲ということなのである。歌舞伎勧進帳の勧請文の中に「八葉の蓮花をかたどり」ということばのあるのを思い出したが、これも同言葉であって、六弁、九弁ろっ゜じ意味の八弁の述の花の意であろいけばなの花芦蒲は、生花にも盛花瓶花にも好ましい材料であるが、伝統的な生花は、花のもつている性何を作品にあらわすことが約束となつており、しかも、それが生花の形と葉の組み方に形式があって、中々複雑な技術がいる。かきつばたと同じ様な葉組みをする中に、かきつばたはかきつばたらしい優婉な梢紹をみせる様に、花菖蒲はまたそれらしい塾いのいい、雄俊な感じを作ることが必要、とされている。技巧にとらわれると、個性がなくなり、勢いよく活けると整然とした生花の美しさを失なうことにもなり、その辺の調和が中々むづかしいものである。瓶花盛花に活けるときは、ほとんど自然のままに、さらりとした調子に活ける。自然に咲く花菖蒲のように、こまかい技巧を加えないで活けることが、いちばん花菖蒲らしい感じを出すことになる。端午の節句にかざる菖蒲は、はなしようぶとは別種のもので、俗に「においしようぶ」といわれ、は「白菖」といわれるものである。袢種のあやめはすべて「アイリス」の屈に入り、これにも随分種類が多い。その中でドイツ師のいちはつが化も大きく、美しい花色のものが多い。(専渓)「菖」又花菖蒲.... ょー(専渓写)11

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