テキスト1969
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松のお話をしましよう。最近はいけばなに使う松も、よいのがなくなつて「苔つきの松」など、ほとんど見られぬ様になりました。少なくとも数十年の歳月をへないと、老幹の雅致のある様な松は育たないし、切る方はそれをさがし求めて採集するのですから、いいものが段々なくなるのも当然といえます。12月20日すぎには、房総地方千葉方戦前の話ですが、そのころはまだまだのんびりとした時代ですから、遠地からの送り荷の「こけ松」のすばらしいものが、京都の市場へ入って米ました。雄松のこけ松を一般に「文人松」というのですが、年末の面からの送り荷があって、三尺に五尺、高さ四尺ほどの大きい篭にぎつしりとつまった文人松が、一篭百円程度で買えたものです。この篭には3尺ほどの長さの枝振りのよいものが50本は人つていましたから、大体この大篭が一個あれば相当沢山の松のいけばなが活けられたものです。東海地方の海岸の黒松ですから、力強い枝振りに白い苔(こけ)がびつしりとついた、雄俊な雅趣のあるよい松でした。このごろ、こけ松というとほとんど雄松にこけをはりつけた加工品が多いのですが、いかにも寒々しい感じで、「虚飾」という言葉をいけばなに作った憾じがします。花屋の創作が商品になつているのですが、そんなにしてこけ松を活けねばならないのかとおかしい感じがします。.とにかく、よい松が段々と少なくなり、それにつれて採集も遠隔の土地に足をのばすことになるわけですが、大体、松は悔辺の松が葉色もよく光沢もよく力強い感じがあって、好ましいことは事実です。東侮地方、.. .. .. こ瀬戸内海の沿岸地方の松が最も優れているわけですが、そのうち切ることのできる場所というのは中々少なく、自然、よい松が手に入らないということになります。日本の景観を飾る松ですから、切りとることは段々むづかしくなり、それでもよい松を活けたいというのが私達の願いですから、いよいよむづかしいことになります。京都府下、滋賀県方面にはあまりよい松がありません。山地や庭園にみる老松には形のよいものがある様にみえますが、それらはその場所に調和した立派な松であって、花瓶に小さく(ニメーター程度でも)活けるとなると、葉のしまりや枝振りのまとまったものは、ほとんどないということになります。それに京都地方のものは赤松糸統のものが多く、葉が柔らかく力が剥くて、切りとつてよいと思うものは殆んどない、といつて間辿いはありません。結局、海風をうけた松、巌の上に出生する様な松、そんな松が私逹の望ましい松ということになります。けつきでなくともよいのですが、葉色のよい、幹に変化のある松がいけばなには好ましいということになります。伝統のいけばな「立花」には、松を材料に使うことが多いのですが、形式を聰甫するいけばなで、かなり精緻な技法の花ですから、これに使う松は、葉のこまかい腰のしつかりしたものでないと、出来上りがよくありません。したがつて雄松であっても3センチ程度の築のものを厳選して使うようにしています。勿論、大作の場合には、もっと葉の荒い松を使うこともありますが、これは特殊な作品の場合です。ここに掲載した写真は、数年以前に東京高品屋で淵催されたいけばな展に出品した、私の「松の立花」ですが、材料は介敷市より10キロほど離れた瀬戸内海に而した断崖で採集した松です。私と土野淳呆氏と、花屋の主人の三人で出かけたのですが、この日は天気もよくうららかに晴れわたった空の下に、瀬戸内の島々から高松地方まで見えるのどかな秋日でした。水島の工業地帯が足もとに見え、海岸よりの工場地帯に、幾列にも並んだ石油タンクが銀色に光つて、そのすえは鈍色にかすんで、海にとけこんでいました。崖のずり落ちそうな岩の間に化えている松を採集してかえりましたが、この松は東京へはこんで「新しい様式の松の立花」として、いけばな展に出品したのです。松の立花には「葉糾み」といつて、松葉を技巧的に糾み合せて、はりがねでとじ合せ‘―つの枝の形をつくります。これにいろいろ方法があっ. . ; 松の話専渓10 i

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