テキスト1969
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5月27日から大阪高馬屋で「第2回日本いけばな芸術展」が関催されました。今日は6月1日でこのいけばな展の最終nです。26日の準備日から一週間、毎日午前7時から大阪の会場へ行き、やつと終了日の今日となり、ほつとしています。どうやら机に向つて原稿を着くことができるようになったわけです。さて、いけばな展の出品というものは中々大変なもので、いろいろ勉強になることもあり、面白いお話もあります。ここでは、そんな花炭出品の思い出話といった調子のお話を書いてみようと忍います。ちょうど今ごろは、高島屋の会場も満'只の混雑中でしようから、こんなお話も全く実感があるということにもなります。いけばな展の作品は普通の家庭の花とは迩つて、いけばな展そのものが、劇や映画を鑑宜するのと同じ性質の、一種のショウ的性格をもつており、いけばな展をみて楽しむものですから、出品作品はいわゆる展四会向きの特殊な作品が多く出品されることは当然なのです。専渓展函砂会のための作品であり、それが会場に出品された場合、技術的にも飯れている作品であり、アイデアの新しい作品でなくては駄目、ということになりますただ技術飯秀であるというだけではなく、いけばな界に新風をおくるといった様な、新鮮な作品であることがなにより大切なのです。また、新しい考案や形式のものではないが、伝統的古典的、或は瓶花盛花としての俊秀なもの、そんな作品も望まれるわけです。幾百点という多数の出品があり、それぞれの作者が自分こそ立派な作品を出そうと競っわけですから、その生けこみ日などは、それこそ一生懸命の熱梢が会場に充満して大変な情景となります。次のお話は、私の花展出品の息い出話ですが、ゆつくりお茶を召し上りながらお読み下さい。このテキストの10。ヘージ、お話」の原稿に添えた写真をみて下さい。この作品「新しい形式の松の立花」は、数年以前、東京銀座白木屋で胆催された「いけばな日本展」に出品した私の作品です。古典的な松の立花の中に、新しい工夫をしてみようと息い立ったのですが、伝統的な技法と新しいスタイルとを一致させてみようと、相当、欲ばつて作った作品なのです。ま第2回日本いけばな芸術展出品(桑原専浜)5月27日より6月1日まで大阪高島屋で開催されたこの花展に出品の作品です。ず花器をコンクリートで作り、渋い褐色に舒色、形に新しい工夫を加えて、しかもそれが松の品格と調和する様に考えました。松の枝やみきの中へ、かるいしを糾み入れて、これ「松のまでの立花にはないものを材料として使ってみたのです。花器は京都で作り、松の葉も前もつて組んで、幹と松葉と石とを別々にして束京へ送り、会場で組み立てようと考えたのです。立花の全体の形そのものは、東京へ出発する日まで、まだ、定つていませんでした。今から考えると随分大胆な話ですが、とにかく会場で定めようと、準備だけととのえて出かけた、というのがほんとうのお話です。生けこみ日の前日、東京につき旅飴は荷物の関係もあつて、なるべく日本式の旅館で庭の広いところ、その庭へ松葉をならべて水をかけることのできる旅館という考えで、本郷の学生街に入りくんだ宿につきました。その夕刻、早い食事をすませて散歩に出ましたが、百メークーほど歩くと屯車迎をへだてて東大の赤門。その中へ入って行くと並木道を歩いて、その向うに安田講堂があります。昨年来、学庄問題で全国的に布名になった安田講棠ですが、そのころは静かな学園のたたずまいの中に、シンメントリーの建造物が賂然と偉容をみせていました。明日の生け込み日を前にして、立花のスタイルをどんなにしようかと、考えながら歩いていたのですが、その前而にあらわれたのが「安田講堂」でした。あずき色の搭屋が中央に高く、その左右に段々と低く、均整の形につくられた安田講堂の建築は、私の心を強くひきつけたのです。そうだ、これにしようとその瞬間、私の考えがきまったのです。あの安出講党の形の様に、明日の作品を作ろう、としつかり心をきめました。その翌日いけ込みは午前H時からとりかかつて午後11時まで、全く12時間ぶつ通してこの作品を作り上げました。私と助手の阪出寿チ、お茶をのむ時間も節約してこの作品に打ちこんだものでした。白木屋の宣伝部の人逹も感激して、お食事をはこんで下さいました。全く熱意をこめて作った作品でしたが、会場では大変好評でした。最近、新聞紙上で安田講堂の写真がたびたび掲載されるのをみて、その日のことを息い起します。恐らく私の一仏狂を通じての記念すべき作品でないかと息つております。学生問屈でやかましい安田請党も、花道家の私に与えた印象は、こんなに美しいものでした。5 安田講堂.... 3

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