テキスト1969
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燈ぷ洋砂竹向皆さん、写真のようなラン。フを見たことがありますか。昭和生れの皆さんは、「これ、なんですか」と質問されるに辿いない、と思います。竹ラン。フといつて、明治時代に使われたお座敷用の照明器具ですが、西洋風のラン。フ器具を、竹と木で日本趣味に組み合せたところ、その時代の生活のエ夫としては中々しやれた味わいがありますね。いつごろから使うようになったのかはつきりしませんが、この竹洋燈は中流上流の家庭のお座敷用に使ったものです。広間の部屋を二つほどあけひろげて、この竹ラン。フを10本ばかり並べた情景は、中々風雅であったし情緒ゆたかなものでした。勿論、電灯のないころですから、この石油ラン。フに灯を入れて、その光を間接照明にすると、結構あかるくて不自由を感じないものでした。一般には吊(つり)ラン。フというのがあって、天井へかけて照明具としたのですが、このほうは実用本位であまりよい形ではなかったし無趣味なものでしたね。それだけに、この竹ラン。フが上品に見え、落着きのあるいい趣味のものでした。ところで、考えてみると洋風のラン。フ器具を、日本の古風な燭台にくつつけた様なこんな道具をみると、いかにも日本的な工夫が見え、日本座敷に調和する落着きを考案してあり、恐らく日本だけにしか見られないこの時代の生活の知恵でありましよう。このころ私は、国文と和歌の勉強をしていましたが、京都御所の広小路御門に近いお住居の野村敷明先生のお宅に通つて講義をききました。このお宅が中々の索封家でして、広いお座敷に竹ラン。フを悩いて、その灯火のもとで先生から口うつしの様に、古今集の講義などをきいたのです。このラン。フの金具から漏れる光が畳にまる<光の絵模様をつくつて、中々印象的でした。明治のはじめごろ、外国輸入の風習が随分多かった様ですが、今日、この竹ラン。フをながめてみると、洋風と日本風とを巧みに結合した考え方には感心させられるものがあります。デザインとしても美しい形をもつていますし、使用にも便利なものです。写真のものは私の家に古くからあった竹ラン。フのうち、完全な姿のものですが、筒はビロウ樹を使ってあり、その中に油壷が仕組んであります。足もとに菫品のある木製の台がついています。明治時代のザンギリもの映画の舞台装置に出てきそうな品ものですが、この竹ラン。フはそのころの民芸品ともいえる優れたものと、私は思つております。洋風のものを日本的に完全に調和させた、優れた意匠ということができます。この竹ラン。フをながめながら、いけばなのことを考えました。私達のいけばなの中に、日本的な趣味と洋風の趣味を完全に調和させて、それが美しい作品となつているいけばな、そんな作品はないのだろうかと考えてみました。全くの民芸品であるけれど、この竹ラン。フの様な工夫は中々少ないのです。立花から生花が考案されたこと、生花から今日の盛花瓶花にうつり変ったこと(その系統は異るが)、その様な大きい変革の他に、近代的には、いけばな的な造形作品が創成された大きい変化はありますが、生活に要求されて芸術的な新しい作品が生れることは、数少ないことだと思います。古いものと新しいものとが混合して、第三のよきものが生れる。これは中々むづかしいことです。今日のいちばん進歩的な瓶花盛花の中に、そんな感じの堅実な新しさをもつ作品が、小数の作家の人達によって作られていますが、生活のいけばなの中で目をみはる様な新鮮ないけばなを、皆さんもよく考えて下さい。エ夫によっては面白いものが作れると思います。明治時代の生活の工夫から生れた照明具です。鹿鳴館(ろくめいかん)時代という言葉がありますが,そのころのインテリア・デザインともいえましよう。(専渓)10

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