テキスト1969
60/147

A B R4月初旬に活けた生花である。この竹器は五0センチ程度の小型の三重切筒である。伝統の花器には、竹をいろいろ意匠的に考えて作ったものが多い。三重切筒(さんじゅうきりづつ)もそのうちの一っだが、は古臭い感じのする花器ではあるが、もう一度よく考えてみると、先人は中々うまく考えたもので、素朴な竹を利用して切り方の工夫によって活け方も、多くの変化が作れるという、その時代の優れた智恵であろう。この花器を今日の生花として使う場合、昔さながらの考え方では、いよいよ古く魅力が乏しい。新しいいけばなの色彩と明るい趣味が欲しいものである。生花の技法はあくまで精密に作ることが大切であり、その中に明るさが欲しい。そんな考え方で作ったのがこの三重切筒の生花である。雲竜柳の緑の若芽、かきつばたの紫、バラの淡黄、つばきの紅色、バラの水ぎわに麦を小量あしらってある。色彩的にも美しいし全体が軽やかな調子である。この竹器はこの写真をとるために作った花器だが、普通の三重切筒とはずつと小さく、細い竹を選んで五0センチほどの小型の花器である。披古的な趣味の美しさ、そんなねらいをもつ花といえる。今日的な感覚でR早生種のひなげし、黒百合の二種。少し小型の生花である。花器に染付の絵模様のある四方瓶。花器ともに六0センチ程度の小品である。草花のやさしさを生花に活ける。そんな感じの作品で、ひなげしは白、オレンジ、淡黄の色が交つている。黒百合は赤黒色の小さい草花で葉の緑がことに美しい。白地に藍絵のある花器にこの花は実に美しい色彩であり、趣味のよい配合である。活けあげてから、いい花だなあ、と自分自身が嬉しくなった作品で、生花もこんな境地にすすむべきものと、これは常々私のもつている感想である。とりあえず筆をとつて絵にうつしたが、色彩的に美しい花だから全然その感じが出ない。残念というところである。さて、伝統生花というとすぐ古いいけばなと考えやすい。たしかに古典的な花ではあるが、古い形式の花だから、形式にさえそえばよいとか、活ける技巧の興味や、型を作るという、そんな考え方の中におさまつて、材料さえもおよそきまったものを活けようとする。そんな考えであるから出来上った作品は重くるしい、新鮮さを感じられない生花ができる。今日的な考え方にあらためて、すつきりとした美しさを作ること、伝統の形式の中に新しさを盛ることが必要である。8 (生花趣

元のページ  ../index.html#60

このブックを見る