テキスト1969
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いけばなを活ける時間‘―つの花を活けるのにはどのくらいの時間がかかるのだろうか。もちろん材料にもよるし、花器の大きさ、場所の広さにも関係があって、これは一定ではないが、また、生花を活ける時間、盛花瓶花を活ける時間、それぞれことなるのも当然である。それなれば、一っの花を活けるのに、どんなに時間をかけてもいいのかというと、決してそうではない。くぎることのできない時間であるけれど、そこに一定の区切りのあることは皆さんも御承知の通りである。―つの花を活けるにはどのくらいの時間をかけるのがよいのか、というお話を、はないけれど、切り花はその種類によって、二、三日もつもの、十日も十五日も日持ちのよいものもあり、その間は水を吸い呼吸をして短かい生活を送つているのだから、その生活の中の切り花を私達はいけばなとして、ある時間をかけて花器に入れ技術を加えることになる。少しで早く活け終ることの必要な時間のない時間ここでしよ'「というのでことは当然である。ここでいけばなにかける時間について考えることになる。「副花」じゅんか—|という古いことばがある。うるおいのあるいけばなという意味であるが、うるおいのある立派ないけばな、という意味でもある。うるおいとは植物の体内にもつている「水分」ということであり、いいかえれば水分の落ちないうちに手早く活けた勢いのいいお花、吸水のよいお花、ということにもなるだろう。花のうるおいの落ちないうちに、というのは時問の問題である。そんな意味でも「いけばなにかける時間」という考え方が起つてくる。そのうえになお大切なことがある。これは潤花という言葉と相通じるのだが、活ける人の心と技術によつて、花のうるおいが落ちることが多い、ということである。しつかりとした考え方をもち、適切な技術をもつて、さつと手早く活ける花にはうるおいがある。活ける人の心の疲れない豊かなやすらぎのうちに活けた花は、そのいけばなに豊かな感じがあるものである。生花でも、瓶花盛花でも、手ばなれする時間がおよそきまつているものである。着々と運び適当に切りあげる、その時間は花器と材料と作品の種類によってそれぞれことなるが、どのくらいの時間で仕上げねば、その作品は駄目だ、という時間がおよそ定つている。どれが何時間という様にはきめられないが、これは体験によって皆さんが知つていられると思う。「時間のないいけばなであるのに、そこに時間がある」これを理解することが大切である。「手の切れる様な新鮮な花」「花器に花を入れるとき、さつと音のする様な入れ方」ときどき私はこんなことをいう。技術と心の冴えというのか、そんな意味の言葉である。音楽、舞踊の世界では特に時間が重要に考えられるようである。くわしいことはわからないが、たとえば音と音との空問、休止譜によって区切られる空問、そして次の音の出発、或は重音などすべて時間によって運ばれてゆく様である。謡曲の中に「切ル切ラズ」という記号がある。例えば「見えつ、かくれつするほどに、しののめの空という隅田川の一節がある。見えつと切る切らないうちにかくれつと発音するので、これを「切ル切ラズ」というのだが、謡曲の中にこんな類例が多い。伝統芸術にはこんな要点をつく言葉が多いが、またここに「間」ま|ーという言葉があって、そのきわめて短かい空間を適切に教えている記号がある。いけばなの場合には記号はない。時間を教えたり、それを制限する約束はどんな場合にも、存在しないのだが、常に自然の花を相手とする美術であるがゆえに、常に自然の花の「うるおい」と活ける私逹の心の調和を考え、花を豊かな環境におくことが、いちばん大切なことである。(専渓)も」... 町口I鼠いけばな放送スナップ(大阪NHKにて)放送前の打合せ素子隆吉専渓10 ••••

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