テキスト1969
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冨春軒一渓作ふくべ(花・白椿)儀の家元第十一山の別号である。桑原冨春軒の家元の花りは、専炭、仙渓、専景、専渓の名を襲名して、今日まで十三代つづいている。ん冨春軒専慶であって、一沢という雅号は、十一世専慶の別号である。はなれて風雅の趣味の書画や、俳旬、花器を作るときに特別に使う雅名であって、私(専渓)の祖父(明治初年死去)十一世専巖のそんなときに好んで使用した。ヘンネームとでもいうのか、そんな場合に使われた雅名である。という名を使うことになったのだが、花道をはじめた18磁の頃から38歳まで、約20年間、「宗炭」という名で家元の仕事をし、また、花道界でも宗慶でおし通したものであった。20年間も使った宗慶とい一渓(いっけい)というのは、この流この十一也の一沢というのは、もちろ別号というのは、家冗の花道の仕事を現在の私も、家元を襲名して「専渓」し‘,0 う花号を、家尤製名をするためとはいえ、かえることは、実に愛惜に堪えないことだったが、それも、いつしか批問から忘れられて、ロハ今では桑原専渓で押し通る様になった。一渓という人は、立花の名手でもあり、一面、風雅の道をひろく研究した家元であって、遺作の書画、花器の類がたくさん残存している。写真に掲戟した「ふくべ」の花器もその一っで形もよく、安定感があつて気品にとむ作品で、さすが花の名手の好んだ花器だと深く感じ入る次第である。この花器は今まで使用したことがない。私も50年以前から古い箱に書きつけのあるものを、時々、折にふれて見ることがあっても、かつてこれに花を活けたことがないつも土蔵に保存して、公閲したこともない。私の家にとつては大変、珍らしい花器である。思う。私がこの花器に花を活けたのは、ここ先日、索子がNHKテレビで放送をしたとき、はじめて、これを使つて花を活けさせた。「なたねと野菊」の投入れである。ごらんの方はお気がついたこととに掲載する写真の椿のいけばなが初めて、ということになる。手入れがよかつたというのか、ほとんどいたみもなく重厚な味わいがそのまま花器にそなわっている。まことに流儀の伝統を語る貴重な花器といえる。50年目にはじめて使った花器というのも、珍らしいお話ではありませんか。滋賀県の仰木、雄琴方而にこの一渓先生の門人が多かった。やり五郎左衛門、北村見吉、小やり政次氏などの古い人達から、一渓先生の名をきくことが多かつた。今でも琵包湖の西部の安鉛高島方而の花道の熱心な人達の間に冨春軒一沢の名が語り伝えられている。.. 2 瓢の花入れ①

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