テキスト1969
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から特に季節感のあるものを考えてみる。青麦、菜のはな、野菊(都忘れ)かきつばた、いちはつ、ばいも、すかし百合、春蘭、おだまき草、ラッパ水仙、口紅水仙、スイトビー、カユウ、パンジー、チューリッ。フ、アネモネその他、いろいろあるだろうが、てつぽう百合、カーネーション、菊などは、ご承知の通り、四季を通じてある材料なので、ほとんど季節感にとぼしい花であり、バラ、カユウアイリスなどもいつでも見られる花であるけれど、その中に春の花としての実感の深い材料でもある。さて、「季節感」という言葉であるが、私達が四季を通じて多くの花を活けつつ、この花は本当はいつが季節なのだろうかと、とまどうほど園芸が発達して、カーネーション、バラ、白百合、アイリス、菊の様に、四季ともに練習用の材料として使っているのだが、それなれば、いけばなには季節感が必要でないのかというと、決してそうではない。伝統的な和歌と俳旬は、今日においては新しい文学としての、短歌と俳句となったが、なおその中に定型律とか自由律とかの区別があり、季感季語について、様々な問題が生れる様であるし、茶道の季節感は伝統たま水仙的な形式によって、まもりぬかれている様である。いけばなは、昔から材料についての制約が、かなり自由であり、作品のよいことが何より大切、というひろやかな考え方があって、材料に用いる花材の季節に対する制約も、むづかしいとりきめはない。季節の花を活けるという気軽な気持が、温室裁培の花や、抑制栽培の園芸の変化によって、自然発生的に二月に菊を活け、十二月にカユウを活けることになったので、現実に見る花は、どんな季節変りの材料であっても、なんの制約もなく活ける、というのがその姿勢である。これは以前から度々とのべているところだが、それなれば、いけばなでは「季節感」など、考える必要はないのか、というと決してそうではない。ここに二つの考え方があるということを、はっきりさせておきたい。①は、四季を通じて、現実にある花、見ることのできる花は、どんな材料でも自由に選択してもよい。この場合は季節感にとらわれる必要はない。特に季節感を作品の中に出そうとする場合、季節の花の味わいをいけばなの中にあらわそうとする場合、季節のうつりかわりをいけばRはなの中にみせようと考える場合、季節の花を特に選んで活けようと考える場合。この場合には、特に花の季節を充分に考えて、自然に咲く花の季節をよく考えつつ取材すること。との二つの場合である。①の場合は、私達が一般的にやっていることで説明を要しないが、②の場合についての考え方を次にお話しよう。今日の私達の生活はあらゆる方面にわたって、自由に変革された時代であり、生活機能の進歩発達は驚くべきものがあるのだが、その中に、自然のうつり変りや、季節のうつり変りに対しては、どうしても順応して行かねばならぬ私共の生活であることはいうまでもない。早春に柳の若みどりの美しさを感じること、かきつばたの季節には春の季節感をしみじみと感じること、初秋の秋草のやさしさ、晩秋の紅葉の風雅など、どんなに時代がかわろうとも私達の生活の中のうるおいである。どんなに時代が変ろうとも、夏には水辺に楽しみ、冬には雪の季節を楽しむ。この考え方は私達生活の自然の感情なのだが、この感情をいけばなにもってきて考えてみると、早春にはつばきや水仙、梅、なたねなど自然の季節の花を活けて、早春の情緒を楽しもうとするのも‘―つのいけばなの考え方であろうし、早咲きの杜若を三月に活け、おそ咲きの紅梅を活け、山吹の初花を活けたり、初夏には、すすきの若葉、桔梗など、自然の季節の花をそのままに、活けることも風雅な趣味としていいことに違いない。ことに季節のうつりかわりには、自然に咲く花を選んで季節感を、いけばなの中に出そうという考え方は、特殊なものではあるが、材料自由、季節感混雑のこのごろのいけばなとして、貴重な考え方といわねばならない。以上のべたことを、まとめてみると、花は自由に選んでもよい、季節にとらわれなくても、どんな花でも得られる花を、その季節の花として、活けてもよいが、その中に、自然に咲く季節の花を特に選択して活けることは、そのいけばな自体に「季節の味わい」が深く感じられるから、好ましい考え方である、ということである。2月よりは自然に咲く木の花、草の花が多く咲く。早春より秋へかけて咲く山の花は、自然の季節をそのままに風雅な味わい深い花である。はたうこん、まんさく、つつじ、川柳、こぶし、しやくなげ、春蘭、やぶつばき、しやが、山ぷき、狸々袴、花筏、岩梨その他、いろいろの山花が咲く。山の木ものに野菊、かきつばた、つばき、春らん等、季節の花を添えて活けるのも、季節感がことに深い。四月になると季節もあらたまり、桜の咲くころは、賑やかな花ものよりも、自然の山花や緑の芽吹きの木ものが好ましく、つくばねにしやがをあしらった様な山花の配合は、渋い好みの花ではあるが、季節的に感じのよい花となる。山吹一種を篭に入れた投入れ、八重よりも一重咲きのものが好ましく、薮つばき一種のかけはななど、國芸の花にない品格の高い花となる。一方に、栽培の和種洋種の明るい感じのいけばなをつくり、その一方に自然の野趣を盛る花をいける。という様な考え方がよい。水辺の花が見られる。早咲きのかきつばたは三月から咲くが、寸法の短かい若々しいかきつばたをみると、いかにも新しい春を迎える感じのするものである。青麦に朱色のぽけの花、芽吹き柳に白つばきのかけはな、みつまたに野菊の小品瓶花。八重つばきを細口の花瓶に一、二輪、首をたれさせる様に活ける。いずれも趣味のよい花だと思う。雪柳は花も終り方の緑の葉の中に白い残花の少し見えるころ、これは花のいつばいついた雪柳にない風雅な姿である。4月からは7 、

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