テキスト1969
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輯よりー~昭和10年頃、日本のつばきは30種、椿、品12月へ入ってまもない小春の暖かい池田市の樹楽園を訪問したのは、日であった。ここは口本一といわれている椿園で、数百柾ほどもある椿の品種をあつめて栽培されているのだが、少し小高い丘にかけてぎつしりと植え込まれてある椿は、晩秋より朴五月に至るまで、次々と開花する各種の椿がたちならんで、実にみごとである。二月号のテキストに椿の珍らしいいけばなを写爽につくりたいので、そのための材料をわけてもらうためにきたのだが、困主片山氏の厚意にょって、その日、ちょうど咲きぐあいのよいものを十秤ばかり切つてもらつて、箱に入れ花に傷のつかない様に注意しつつ持つてかえったが、その夜、ほとんど徹夜して活けたのが、ここに掲載した「つばきのいけばな」6作である。菊、朝顔、つばきなどは品種の多いもので、薗芸家の技術によって、年々新しい品秤が化れ、その園芸品稲が、つばきの場合は一000種以上にも及ぶのではないかといわれているのだが、つばきの品種名について片山定行氏は「一、0001二、000と推察せられている有名無名の品種を抱えた椿を、適正な呼称をするのは至難」[京部園芸倶楽部発行、椿特と記されているほど種も多く複雑である。アメリカにあるつばきは60種程度という話をきいたことがあるのだが、戦後の園芸の発展によって急速に、える。佗道家の安逹潮花氏が椿の研究家として有名であるが、私の家にも三つの庭に植えた椿が20種ほどもあり、年ごとに種頬の増して行くのを楽しんでいる。いけばな材料として椿を用いることは、古い時代から今日まで、いろいろな場合に使われているのだが、それを栽培する園芸家の研究と努力を見るにつれて、全く頭のさがるlIl心いがする。―つの花‘―つの枝でも無駄にならない様に人切に活けることを考えたいと息う。(100 0種以上に増加したものとみ専渓)毎月1回発行桑原専慶流1. 向う懸けの椿(かもほんなみ)座敷のまん中の柱に,すいばつのかけ花器をかけ,それへ白椿一種を活ける。椿J)名は加茂本阿弥という。編集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専農流家元1969年2月発行No. 69 いけばな

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