テキスト1969
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達〗暢〗いけばなには「のびやかさ」ということが必要である。暢達、流暢、流麗などという言葉は、同じような意味の、のびのびとしてとどこおらぬこと、のびやかに美しい、そんな意味をもつている。私達の作品には精密な技巧のあることが大切であるが、同時にのびのびとしたひろやかな感じの作品でありたい。江戸初期の日本画をみると墨絵ののびやかな線で描いたものをみることが多い。流麗な線を一筆でどこまでもつづくように筆を走らせて、それが波になり雲の形を作っている。紙面の外まで流れて行く様に描かれてあるのをみると、いかにもひろびろとした感覚をうける。古い日本画の優れた技術である。私の家に清輝のふすま絵がある。4枚の襖に描いてある絵は、淡彩の墨絵だが、「波涛に千鳥」の絵が実にのびやかに描かれて、画面に飛躍の感じが根つている。私はいつもこの画をみながら、自分のいけばなを考えるのだが、確信のある流線の美しさに、深い感銘をうける。よほど以前のことだったが、ビカソとマチスのデッサンをみたことがあった。白いカン。ハスに描かれた50号ほどの作品だったが、黒の流麗な線が画面一ぱいにのびのびとして、古い日本画の描線とほとんど変りのないのに驚いたことがあった。そのとき、ビカソの作品、マチスの作品ともに同じような素描の絵が陳列されておったので、大変勉強になったのだが、外国の絵も日本の画も筆者の優れたものは、どこかに一致点のあるものだと深い感銘をうけた。で、植物の自然の姿を活かすということを、常に考えつつ作品を作ってきたのだが、その形を作るという点においては、古い日本画的な考え方をとり入れた場合が多いと思う。重厚であり、或は軽快潰洒な感情のあらわし方、どの場合にも絵画の思想や技法と一致することが多い。桃山時代より江戸初期の金壁画と立花、浮世絵と生花、明治に入って盛んになった写実派の絵と盛花瓶花の創始、これは時代の生活と共2間に、芸術思想がうつり変ったのであろうけれど、日本画といけばなを対比して、時代の変化を考えてみると中々興味がある。さて、絵画の場合でも、いけばなの場合でも必要なことは、のびやかな作品ということである。いけばなの中でも生花であろうとも、今日の瓶花であろうとも共通して必要なことは、のびやかな技巧のびやかな形、のびやかな感情、これが作品の中に常に必要とする。その作品が大作であろうとも、小品であろうとも、のびのびとした線の美しさをもち、ひろびろとした感じをもつ花であることが、なにより必要である。技巧的にも完全であり、その上にのびやかな作品、これが望ましい。私達のいけばなは、その永い歴史の中形の構成、均衡、空間の作り方、或は(井瓦花)専渓エリカすかしゅりひらぎ

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