テキスト1969
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京都の陶器は「清水焼」と、一般的にいわれるのだが、私達京都に住むものは、清水焼というとおみやげものの陶器かと思っょうに、いわゆる作家の美術陶器には清水焼などという名前は、も一っびんとこない。京都の陶器は五条東山近辺が本場で、日本的な代表陶芸家が軒をならべているのだが、この辺も段々と市街の中心になり、戦後、東山南辺の泉涌寺辺に中心が移動したかと思うと、最近は山科に陶器村が出来たり、ずつと離れて木幡の炭山辺に陶器村が出来るという。仕事の便利さと交通の関係で追々と変つてゆくのであろう。さて、私達いけばなをするものにとつては、まず花器。ほとんど陶器ということになるから、その本場に住む私達は自由に思うままの花器を選ぷことができるかというと、中々どうして、といいたくなる現状である。その理由を考えてみると、大体、ぶ画・さくら子水準以上の陶芸作家は、その作品の大部分をしめる壷について、それは花を活けるための花器であるということを考える人が実に少ないと思うのである。美術的陶器としての優れたものを作るということは当然なので、花を活けることよりも、それ以前の独立した美術でありたいと願う心、それも当然である。花器の形を作っても花を活けることは第二義的に考えて、主として鑑賞陶器、美術品として価値あるものを作ろうとする気持ちは、よくわかるのだが、そんな性質の陶器はいけばなを実際活けようとする人達には遊離したことになる。また、たとえばどんな優れた壷でも、10万20万円というような花器は、いけばな大衆には縁遠いということなのだから。京都にはそんな意味での大家が多い。それほどでなくとも、その様な気風があるので、新進の陶芸家でも専渓花道家のつきあえる人は少ないし、花器といけばなという関連した仕事が、結びあう機会の少ないことを、常に残念に思っている。優れた陶器は当然、焼成の技術が立派であることが大切である。それと同時に、形の新しい考案工夫ということも重要なことではないのだろうか。こころみに代表的な美術展に行ってみるとよくわかるのだが、出品の陶器(花器の形式のもの)をみると、、形が平凡である。釉薬の工夫、焼成の技術、色調、図案などには優れたものがあっても、最も重要だと思われる形については、新鮮なものが少ない。ことに大家の作品には温厚健実なものが大部分で、あきたりない気持ちがするのは私の理解が足りないためだろうか。京都の走泥社の作品の様に、飛躍的革命的なものでなくとも、陶器の花器の範囲の中で、もう少し新しいものがあつてもよいのではないかと常に思っている次第である。さて、話が横へそれたが、それではあなたが希望するのは、どんな花器ですか、と問われたとして、私の気持ちをのべてみたい。その前に参考になる資料があるのでおったえする。日本花丼新聞(7月18日号)掲載の記事によると、農林省で発表した昭和43年都道府県別花井消費動向調査によると、切花消費量のうち、花道に関係するもの(けい古花をふくめて)は、その五0。ハーセントに及ぶということが記載されている。東京都だけで一カ年に使う切花代が八十五億円というのだから、実に驚くべき数字である。ことに稽古花がそのトップで、全国平均で売上げの四二。ハーセントに及ぶという。この数字は、いいかえれば全国花道界の発展の状況を示していることであり、同時に考えたいことは、いけばなを活ける人が必ず必要とする花器のほうはどうなつているかということである。京都で花道関係の専門の狗器屋というのは数軒にすぎない淋しさである。こころみにそんな店に入ってならんでいる花器をみると、大部分が趣味のよくない花器である。勿論、値段の方も千円二千円程度のものが多く、大衆的なけい古用の花器が集つている。俯段はとにかくとして流行かぶれの奇妙な花器の多いのには駕くほどである。主として信楽、名古屋、四日市方面の陶器が多く外面はきれいにみえても、大量製産の陶器だから深みがなく味わいに乏しい。値段の関係もあって、おけいこなれば結構、これで活かります、という程度の花器である。勿論、京都焼きの陶器も同じ程度のものが販売されている。これで次々と売れて行くのだから心配することはないのだが、買う方も花器はいけばなにとつて大切なものだから、もつとお金を出してよい花器を買うような考え方をもつて欲しいと思つのである。また売る方の花器産業の人達も、もう少し高級なものが、普通に使えるように、その種類を増して欲しいと思っ。楷古用の材料費は一回分がそれから比較すれば、五千円一万円程度が花器の普通価格と思うのだがどうであろう。私の希望とするのは、陶芸家の新進作家の人達が、花道家の理解ある人達と結んで、今日のいけばなの望ましい花器について研究して欲しい。そしてひろく一般に使える様に大量に作って欲しい。勿論、デザインの新鮮なものが必要だし、陶器としてかなりの程度までできていることが条件である。価格は一万円か二万円程度、これなれば希望者も多いに追いないと思っ。とにかく、いけばなには花器が重要であるのに、花器を作る人と花を活ける人が遊離している。その中間に平凡な花器がひろがつているというのが現状である。陶器といつても範囲はひろいが、ここでは花器について私見をのべた次第です。二00円|ー三00円程度である。いけばなの花器12

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