テキスト1969
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ります。立花は桃山時代から江戸初期へかけて、もっぱら大名貴族、上流階級のいけばなであったわけでありまして、書院づくりの床の間に飾るように考案された、豪壮華麗な作風は、一般庶民のためには縁どおいものであったと思われるのであります。寛氷より元録年間に入りますと、光琳派の絵から風俗画の発展、浮世絵の時代となつて、一般庶民のための芸術芸能が盛んに行なわれる様になったのでありまして、いうのは、このころの花道家でありまして立花の家元として西本願寺に奉仕していました。さて、立花には多くの形式と技法がありまして、伝統的な形と約束も中々複雑であります。これは、同じ伝統芸術の能や狂言に多くの演目や型があります様に、立花でもいわゆる秘伝めいたことが中々多いのでありますが、これはどの伝統芸術でも同じでありますが、能、狂言、またこの立花においても、技法形式は厳重に定つているのだが、研究をなしつくして技個が高くなつてくるにつれて、その個人の工夫をくわえて、自分の創作をすることができる様になります。能や狂言の様に厳しく考えられるものでも、シテの工夫によ桑原専慶とただ感激するのみでした。日本の能ました。切に考えております。つて、同じ演目の能でも新鮮に感じられることがあります。その演者の個性が、或はその表現法がことなるのは当然でありまして、伝統芸術の創作はこんなところにあるものと私は思つております。私ごとで恐縮ですが、おとついの夜、京都会館で催されました「レニングラード・バレー」をみましたが、華麗な「白鳥の湖」の舞台をみて実に感心いたしました。大分ちがうな、というのが実感ですが、古典的な「白鳥の湖」が、実に活々として新鮮、狂言に比すべき、このクラシック・バレーがこの様に新鮮に感じられるのは、世界的な名手による演技によるものだろうか、演出法によるものだろうか、と深く深く考えさせられ私どもは、「立花」という伝統のいけばなを作るのだが、常にその中に現代に調和し得る新鮮さを、たたえることがいちばん大切なことと痛どのいけばなでも、常に自然の草木の花を材料にして形を作り、色調を作り、その中から日本のいけばなとしてのほんとうの味わい、感じを作ろうとしております。これは、他の伝統芸術とは違つて、常に自然の花を相手にしていますし、その材料の花が、年ごとにといつてよいほど新しい花が目の前にあらわれてきます。もちろん、昔からある花も大切な味わいをもつておりますが、それだけではなく新しい材料を使うことになります。立花にでも洋花を材料に使うことになりますし、また、一方には花器の類もいろいろ形式が変つて参ります。伝統の範囲だけにとどまることのできないのも当然であつて、時代と生活の変還によって、いけばなは変つて行くのが、これは当然であつてまた、これがいけばなの真実の個性であろうと考えています。能や狂言と同じ様に、日本的な技法とその中にある気品が尊敬されるように、いけばなの古典である立花にも、日本の伝統の品位が要望されるわけで、その上に、新しい時代に調和する立花であることが、なにより必要であると信じております。いけばなといいましても、大変、範囲が広うございますが、今日は、その中の「立花」についてお話いたしました。(挿絵は、立花当用集より)いけばなを座敷に飾りつけるとき、四つ足の「花台」にのせることが多かったが、このごろはほとんど花台を使うことが少なくなった。花台を使うのは古いいけばなの習慣で、立花や生花には古典的な形式に調和するが、今日の新しい瓶花や盛花には、作品の性格と重い感じの花台とは調和しない、というのがその理由である。最近の盛花瓶花は自然趣味の作品や、明るい感覚の作品、新鮮な色調による作品、そんないけばなが多いために、低い台であつても、四つの足の花台は花を引き立てる装飾にはならない。花台にも低いもの高いもの、種々な形があって、全面的にいけないということではないが、折角の作品の引立て役にはならないし、むしろ無駄な重くるしさを感じることになる。この号に掲載の、うす板の類、その他のしきものといけばなの調和を見られるとよくわかると思うのだが、なるべく淡泊な感じであること、花と花器の引き立て役であること、その調和を考えて選択することが大切、ということになる。各作品についてみると、それぞれ花、花器、しきものの調和についてしきものの選択注意されていることが理解できると思っ。今日の家庭生活では「床の間」というものが段々少なくなり、いけばなの装飾も、もつと自由に明朗な飾り方になつているので、花器と花だけで飾りつけが出来るならば、しきものも不必要ということにもなる。ただ、しき板の類は装飾の意味だけではなく、花器のしめりや水淵れの用意のためでもあるから、畳床の様な場合、その他の必要によって使う様にすればよい。総体的にいつて、大きい形のもの、重い感じのものをさける様にしたい。花器の底を少しはみ出す程度の小さい板の類がいちばん格好がよい。レースのしきもの、布地のテープルセンターの類は、いためやすいので花瓶をおくとき注意すること。荒土(あらっち)の花器は、うす板に傷をつけやすいので注意すること、その他、竹を組み合せていかだの形に作ったもの、舟板の類、木地のうす板、いろいろ意匠的なものも多いが、あまり意匠のすぎたもの、悪趣味の装飾のあるもの、こんな感じのものは使わない方がよい。要は、花の引き立て役としての「しきもの」であることを注意しつつ、選択する様にしたい。7 ... ...

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