テキスト1968
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これは「能」の而箱ー|めんばこー~ある。肘草金蒔絵のあるこの能面の箱は、「翁」の舞合に用いられるもので伝統の香りが深く感じられる。これを花器として、柿、しやがの葉、山いものつる(枯)の三秤を活けた。薮蔭に干す嵯峨面の印象をいけばなにあらわそうとするのは中々むづかしいが、この意匠花は品格もよく、供い好みの中にどつしりとした古典の池覚がある。器の中へ中筒(銅)を入れて、柿の木振りの風雅に而白い形のものを選んでしつか京都市の西北、大堰川に面するところ嵯峨である。嵯峨とは山のけわしいさまをさす言葉で、嵯峨とした峡谷、いわゆる嵯峨切れをさす言葉であろう。名所古蹟の多いところ、天竜寺、大覚寺、清涼寺、二瑞院など有名な寺院がある"嵯峨菊の名物も多いが、この写真に見えるのは嵯峨而(さがめん)を薮蔭に干す風景である。大覚寺より直指庵へ行く奥嵯峨の道、この辺は一帯に竹薮が多いが、出来上つた面を蔭干(かげばし)にした情景は中々風雅な趣きがある。嵯峨面を作る人は落柿舎の西側に住む藤原浮石氏が伝統を(おおいがわ)、嵯峨而、嵯峨豆腐などまもる、ということだが、嵯峨の歴史とともに伝つてきた嵯峨面の存続が望ましいことである。狂言に「七つに成る子」という小舞があつて、その歌詞の中に次の様なことばがある。「踊り人が見たくば北嵯峨へおりやれの、北嵯峨の踊りは、つづら帽千しゃんときて踊るふしが面白い」北嵯峨の踊りというのは、清涼寺や釈迦堂の大念仏踊りの様なものをさすのではなかろうか、しかしこれが嵯峨而とどんな関係があるのか、なお、しらべたいと息つている。峨が嵯さ\ りと留め`しやがの緑葉、つる草の枯れをすそもとにあしらつて、これは晩秋の野趣をあらわした瓶花である。が、静かな場所で見るいけばな展にでも出品すれば面白いと思う。作で、第七国写真京展の入選作品である。この写真展は京都新聞社主催、11月5日より10日まで京都大丸5陛催垢において開催、この作品も炭示されている。嵯峨面という題に、あまりにも意匠的だ上の写真、統峨野の風景は小西進氏の近(題・嵯峨野にて)8 面いで

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