テキスト1968
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f 4しく和歌や俳句の中に「定型律」「自由律」という形式がある。律は方法、体型、行き方、そんな言葉なのだが、またこれが定型詩、自由詩といわれることもある。七五調の短歌、十七音の俳向の形式は常識的となつているが、これを現代文学の上からみると、伝統的な型の中にとどまるということにいろいろな反論が生れて来て、形式にとらわれない自由形式の短歌俳旬が生れてきたものであろう。定型俳句の中に「季物」「季語」という言葉がある。季物とは季節のいけばなの範囲専渓(画)物、たとえば「雪」「若葉」「落葉「の様に季節のこと、季語とは春夏秋冬の季感を表現するために、特にその四季の語としてよみこむ様に定めた言葉、たとえば鴬を春、金魚を夏とする類で、またこれを季題ともいわれる。この様に定型俳句は一定の約束の中で作句することになっているが、その中にその形式作法をどんなに活躍させ、感動を盛り上げるかについて作者の文学が生れることになるのであろう。伝統芸術の能、狂言、日本舞踊、茶迫、などこれと同じ考え方であって、永い年間の鍛練を経て、その形式手法が完成され今日に至ったものである。さて、同じく伝統芸術のいけばなについて考えてみよう。「花道」又は「華道」と呼ばれるいけばなは伝統芸術の中にありながら、伝統形式の短歌、俳旬、能狂言、舞踊、茶道とは、根本的に異つた性格をもつているのである。伝統のいけばなには「立華」と「生花」がある。いわばこれは「定型律のいけばな」というべき性質のものであるが、形式技法を定めている立花生花の中で、一ばん注意しなければならないことは常に草木の植物を材料としていること、また、室内装飾のためのいけばなとして、それに調和することをいつも考えていることである。花道は六00年の歴史があるのだが、その永い年月のうちに、生活に調和するいけばなを作ってきたのである。勿論、材料の花があってのいけばなであるから、その時代その時代の花を、その時代のその季節の花として活けて来たに迩いない。また、室町時代から桃山期、江戸期と経てきた期間のうちに生活様式が変遠し、花を活ける器物もかわり、装飾する場所もかわってきたに違いない。第一、活ける素材の花さえも変化しているに違いない。立華、生花が定型律的な性格をもつて成り立つているのではあるが、いけばなの根本的な性格が「自然と仕活」という上に、基盤をもつている以上、変らざるを得ないなりたちをもつているのである。伝統芸術でありながら、たえず時代とともに変化して行く性格を、本質的にもつているのである。茶道は茶道の生活の中にとどまることが出来るに違いない。能、狂言も伝統芸術として、むしろ尊敬と保護をうけるに違いない。定型俳句もその範疇(はんちゅう)を護ることができるだろう。しかし、いけばなは、時代とともにうつり変り、今後、いよいよ新しい様式を開拓して行くことになると思っ。明治より昭和へかけての有名な花道家、西JI一草亭はその著書の生花」の中で次の様に述べている。(昭和22年)「お能とお茶は一方は舞台に、一方は茶室という特別な建物に在つて、その中で鑑賞される様になっているが、生花にはそんな物が無い。個々の人間が各自の家で茶を飲んだり、食事をしたり、寝たり起きたりする中でそれを見て楽しむのだから、日本人にとつてはいわば生活の必裾品の一っである。とすると、時代の変化に伴うて新しい物が起り古い形式の廃るのは当然である。その点は、生花はお能、お茶に似ず、却つて画に似ていると思う」全く同感である。前にもお話した「日本ことがあるが、いけばなは茶碗や花器と同じ様な工芸的な性質、生活のための必需品という性格をもつているのである。従つて、生活が変ればそれに必要な、それに調和する花も活けることになり、花器と花材もその時にふさわしい。花器花材を使うことになる。盛花瓶花という現代生活にびったりするいけばなが盛んに行われるのも、当然ということになる。さて、最近は函芸栽培の花が盛んに出廻つて、品質もよくなり季節をはずれた花が、四季に早々と見られる様になった。春の花も夏の花も一時に見ることができる。厳冬の頃でも美しい百合の花、ばらの花を見ることのできる時代である。そして、私逹はそれを普通の状態として見、或は活ける。あまりにも自由になれて、一体、花の季節感というものはなくなったのであろうかと、疑問さえも起るこの頃である。ここで、定型俳句や、茶道の自然観と、現実的に二月の百合の花も洋蘭を季節の花として活けるいけばなの自然観を対照してみると面白い話題になるが、これはすでにテキスト49号の「自由律のいけばな」の原稿でふれているので、ここでは省略して次の機会に形をかえてお話することにする。.... 欣tほ112 し

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