テキスト1968
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c Rトプえルのーこのろ細草口との芙陶蓉器(を高、コさバ20セルンチ)に入れました。えのころぐさは一名、猫じゃらし、といい野原にある雑草ですが、切りとつて足もとを食塩でもみ挿します。芙蓉の小型の花を足もと添えて、これは露のしたたる様なうるおいのある小品花です。芙蓉は葉の水揚が悪いので、花だけ首短かく挿すと一日中は美しく見られます。c丹波焼の古い壷、高さ10センチ程度の小さい茶壷です。さびた上ぐすりのかかった渋い好みの器なので、花も落秤きのある材料を選びました。山いばらの実と、白花のバラ一輪、これは足もとに丁字留をかけて、普通の瓶花の様に技巧を加えました。小さい床の間に薄板をしいて飾ると、よい調和でしよう。⑪この花器は高さ22センチほど、少し小型の花器です。もつと大きく入る花器ですが、わざと材料を少くして小型のいけばなを作りました。花器とのバランスを破つて特に小さく入れるのも面白いものです。雪柳の細い枝を3本、ききようをI本、これで調子をとりました。花器の口をあけて、その一方のすみに軽く花をもたせて、これは風雅な感じのお花です。\ 思い切れないその作品に対する砕敬と、作者の人となりさえも考えることになります。いけばなの楊合もその作者の充分につくし切らない「余情」とでもいう、うるおい、目然のもち味、風雅というものがあってこそ、見る人に悠々とした「うつり香」を与えることになります。いけばなを作る時間を半時問乃至1時間と考えて、その時間の中でどんなに進行して行くかということを考えてみましよう。いけばなにはそれを活ける人の性格がよくあらわれるものです。その中で二つの対照的な例をあげてみます。花材をもつてもあまり計算しないで至って元気よく、ざつざつと活けてしまう人があります。また、はじめから考えに考えて丁寧にこまごまと考えて仕土げて行く人があります。勿論、その中問派というのもありますが、この対照的な二つの行き方について考えてみましよう。勢いよく手早く活ける人はどうしても計算が足りませんし、活け方が粗雑になりやすい。あまり神経質にこまごまとやる人は花のうるおいが落ち自然から離れることになりやすいのです。勢いよく入れてもよいが、その進行の中に最後はどこでしめるのかということを忘れないようにすること。最終になつて最初の無造作がよくまとまるか、出来上りの形、色調その他について、計画した上の勢いのよい運びなのか、これに問起があります。理想的にいえば、手早く運んで行く挿し方は自信のある練達の人のやる方法で、花の新鮮さを失なわないうちに活けることでもあり、望ましい方法でありますが、それには進行しつつ確かな計鍔と考応が必要ということになります。これと全く対照的なのは偵重派です。―つのいけばなに2時問ほどもかけて、丁寧に細密に仕上げて行く人です。これも―つの理想像といえるのですが、進行しつつ花のうるおいが落ちないか、萎縮しないかということをたえず考えて進む人はよいのですが、熱心のあまり花の新鮮さについて忘れてしまう楊合がよくあります。粘密に若実に一み重ねて行くことは望ましいのですが、花のうるおいに限度のあること、活ける私逹の心と体力にも限度のあることを考えねばなりません。新鮮な花材をさつと手早く入れる、そんな考え方も大切なことです。第一の場合も第二の場合も、これは花の活け方というよりも、その人逹の性格が、いけ花を活ける場合にもあらわれることなのであって、要は自分のその個性をよく考えて適度に限度を知ることが大切、ということになります。っ―っと秘... 11 D

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