テキスト1968
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A B 小さくとも見る人に深い印象を与えるいけばな、小粒でびりりとする様な味わい、これが小品花の生命です。小さい部屋に小品のいけばなは当然ですが、大きい部屋にでも、飾り場所をよく考えると結構、小品花で充分装飾の役目をはたします。それだけに、小品花の花器と材料の選び方、その花形と趣味を考えて活けることが大切なのです。ここに四つの小品花を作りましたが、花器と材料を変えていろいろ活けてみて下さい。小さい花ですから時間的にも簡単に入るし、しかも装飾効果の多い花でもあります。盛花瓶花の普通の考え方をはずして、ときどきこんな花を即興的に活けるのも楽しいものです。R白い土の陶器、20センチばかりの高さの変型の花器です。ひまわりを2本、首短くさして丁字留もなく、そのまま挿して花の形をなおして出来上りという訳です。五分か十分間で活かる花です。さつと挿すところにこんな花の魅力があります。多忙な生活の中のいけばなとして最適のお花です。これだけ毎月書いていて、よくもお話の種がつきないものですね、とよくいわれる。全く65号というと、随分いろいろの話を書きつづけてきたものと思うのだが、その中になるべく同じ話にならない様にと注意しつつ、どうにかつづいて来た、というのが真実、というところである。さて、ここでは「落穂」の様な断片的なお話を省いて見ましよう。私は毎日、就寝前に半時間ほど気楽な小説を読むことにしています。漱石、独歩、鵬外、武者、潤一郎、藤村から達三、由紀夫、鱒二、靖、周五郎など全く乱読する訳ですが、その中に文学的に優れているもの、文章の巧みなもの、その個性など、いろいろな方面から考えて読むと中々研究になります。その中で一ばん注意を引くのは、その話の入り方と、終結の打ち切り方です。これは文学に限るわけではなく、もののばじめと、その結び方というものは全くむづかしいものですが、能、狂言、劇、映画などの作品でも「はじめと終り」については、特別の注意がはらわれている様です。これは造形美術の絵画、彫刻、陶芸の作品制作についても同じことだと息います。勿論、いけばなについま( こ醤ぴても同じことがいえるわけです。作品のくみたて、その構想、どんなにしてその作品に入って行くかというのが、芸術をつくる発端になります。小説の場合、この話をどんなテクニックで打ち切るかというのは、実に大切なことであつて、これがはずれるとその作品全体の夢をこわしてしまうし、作家に対する信頓さえも夫う結呆になります。いけばなにもこれと同じことがあります。花を活けようとするそのはじめ、花器をきめ主材や主枝を入れはじめるそのときは、全体の最後をきめることでもあります。また、ほとんど形が出来上り、ここで手入れを打ち切るべきだ、という瞬間があるものです。なんとなくだらだらと花材をなぶつている様なのは、全く意味がないし、やめようかどうしようかと思いまどう様ないけばなには、よい作品が生まれません。もうそれ以上の手入れは花の水揚のためにも悪く、作品のうるおいが落ちるし、活ける人の心も新鮮さを失つているのに、思い切り悪く花から離れ難い様な無意味な態度はやめることです。作品には、手をとめる時、その終末の時が大切です。これは文学にしても美術にしても同じことだと思います。文学の場合、読後の感動、なにか/ 小品花10

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