テキスト1968
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題は「高瀬川一の船入」である。ふるさびた水辺の情緒をいけばなで表現する作品を活けることになる。花材は(雪柳の青葉、じゅずだま、秋咲きのかきつばた)の三稲をとり合せた。花器は中国陶器の時代染附の鉢を使う。柳、かきつばた、じゅずだまはいずれも水辺の情緒のある材料で、さびた藍絵の鉢も、なんとなく古風な面影があって、この題にふさわしい材料だと思う。たっぷりと水を入れて、その水面に立つかきつばたとE柳のみずぎわが清楚に見える。じゅずだまはさびた野趣を見せて、盛花に自然趣味の味わいをもたせるのに効呆がある。この写真に柳が見えるので、雪柳を挿すのもわざとらしく少し気がひけたが、水と柳という取合せは一ばん情緒をあらわすことになるので、雪柳の中の枝の柔かい曲りのあるものを選んで挿し入れることにした。株の中央に少し空間をつくり、水の見える様にして、写実的な「分体花型」に活けてある。このたかせかわいち高瀬川は京都の嗚川からわかれて、流程寸延キロ、伏見をへて宇治川に合流する運河である。疫長16年、角倉了以によってひらかれ、京都より大阪への通い船「高瀬舟」は、永い歴史と多くの梢紹をふくめて有名である。森鵜外作「高瀬舟」もこの運河にまつわる物語なのだが、流賠花明の巷を流れるこの川には、乗合船の年11から荷船の廃止になった大正年代まで、多くの歴史のつみ菫ねがあったことと思われる。私の幼い頃にはまだ、この高瀬川に引き船が通つていて、「ホーイ、ホーイ」という哀調に似たかけ声で、上り船を綱で引く船頭が五条から三条までの多くの小栢の下をくぐり抜けて、二条の船梱り(ふなだまり)まで、ゆるい辿度で船を引いて行った姿を怯いおこす。「船祁り」は「船入り」ともいわれ、二条から四条までの間に七ケ所ほどもあって、ここで伏見より大阪への荷物の積みおろしをやったところで、現在は木屋町二条下るの「一之船入」跡が、史践として保存されている。高瀬舟は船版の平たい板舟の意で、その頃の木造船にそんな種類の船があったらしく、汲い河川、暗礁の多い近梅を行く船に「高瀬舟」を使ったものの様である。訊曲「清経」の文中に「とるものもとりあえず高瀬舟にとりのりて夜もすがら柳という所につく」というのも、朕浅い板舟の意であろう。ふないり,高瀬川一の船入

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