テキスト1968
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ギ’考案とは「エ夫をめぐらすこと」である。花を活けようとするそのはじめ、活けつつ変化して行くそのは程において、更に活け終ったと思うその後に、幾度となく考えること、これらを引つくるめていけばな作成の上の考案ということが出来る。花を活ける場合に、花材を選んでから花器を定める場合と、花器や場所を定めてから花を選択する、このふたとおりがある訳だが、いづれにいけばなの考案しても、活ける前にどんなに作るかということを、よく考えてとりかからねばならないのは当然である。それには、花材の配合選択に深い関係があり、花器との調和についてもよく考えねばならないことである。けはじめる前に、材料を選ぶ時、すでに大体定るものである。極端にいえば花屋の店で材料を買うとき、或は採集するとき、すでにそのいけばなが成巧するかどうかが、大体定つている訳で、つまり、どんなに技巧よい作品が出来るかどうかは、活をつくしても、趣味のよくない花材、配合配色の悪い花材は、高度の技術があつても、結果的にはよい作品は出来ないものである。活ける以前に正しい考え方をもつこと、優れた計画をもつことが大切である、という訳である。さて、花器を選び、活ける場所をしつかりと見定めて静かに活けはじめるのだが、自然の花を材料にするいけばなは、作る人の思うままに成るものではない。相手は生きた材料であるから、それぞれ自然のもつ自由があり、活ける人の心はいつも自然を活かすこと、自然の姿に調和、協調して、いつも心を柔らげて花材の言葉をきいてやる心、また、花材を自分の目椋にそわせる様に技法を加え、よい作品の作れる様に進行とともに工夫し考案し、出来上りをよく計算して、出来るだけ短時間に仕上げてしまう。この場合に、最初の計画または計算が間違つていると、どうにもよくならない。かなり優れた技術をもっ人でも、最初の出発点を誤つているオ士松(としよう)梅の古ぽく;S-。fこ である。(専渓杜松は(むろの木)とも(ねずの木)ともいう。山地に自生する木本だが、枝振りに変化があり、瓶花にも盛花にも雅趣の深い材料である。写真の作品は、この杜松の間立した樹姿のものを選んで3本、梅のこけつきのぼくを3本配合して、淡紅のバラ3本を添えて瓶花とした。なんとなく荘重な悠じの新年花にふさわしい花である。まつすぐに直立した姿が、厳粛な愁じを出しているのであろう。バラの葉の黒々とした緑と栃の古木、色彩的にも美しい。詞山にそびえる老杉の姿にも似て、すがすがしい花である。Jい地の陪色の陶器に剣山花密を入れ、丁字招も仕つてしつかりと留めものは、なぜ、よくならないかと自分でさえも混迷して、花も心も疲労して駄作を作りあげてしまうこととなる。考案を正しくすること、よく計鍔して、或は出来上りを正しく見通おして、活けはじめることが肝要である。私のこれまでの経験でも、計画の甘かったもの、計算に誤りのあったときは、大休、失敗に終つている。平凡なことだが注意して欲しいこと4 ~ )

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