テキスト1968
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つれづれに松田修氏の随筆集「花を読む」という本を読みました。その中に「植物文学」という言葉がありました。たしかにこの著書は植物文学なのですが、そのとき同時に私逹のいけばなも「植物美術」という新しい言葉を使うのも面白いな、と息ったのです。「いけばな芸術」という言葉がよく使われますが、なんとなく肩をはった様な慇じがして、私は嫌な言葉だと111心つているのです。「植物美術」はまじめでいいし、要点をずばりとついている言葉の様に息えるのです。よほど以前のことですが、いけばなは「糾み含せの芸術」だといった人があります。材料の草木の花を配合してそこから、自然の草本の美しさ以上の、別の芸術を生むことだ、との意でありますが、これもいけばなの性格のありますが、いけばなは組み合せ配合すれば足れりというのではなく、糾み合せがその作品をつくる要点であっても、それ以上の、それ以外の創作、意図、技法、またそれから小み出してくる愁党などを充分に説明した言葉ではありません。組み合すことは―つの手段であっても、それが「いけばな美術」の大部分でない一端をあらわした一言菜でノた花作た2枚の葉は図案的な美しい形が見ことは当然であります。さて、この写真を見て下さい。ストレチアは日本名では「極楽鳥花」といわれ熱帯地方原産の花です、これに万葉松の細いものを3本配合して、ストレチアの葉2枚をさし添えました。この瓶花をみると、なんとなく澄みきった秋空を見る様な感じがするではありませんか。広い芝生の庭に。ハンパスの穂が群つて秋空の青色をつく様な、のびのびとした明朗さがあるとLLI心います。オレンヂ色のストレチアの花と、松の緑青の葉、隔色の幹とストレチアの前線の茎、すそもとに挿し入れられます。花の茎の線、松の幹の集りと、それによって作られた空間の形、花器の中からのぞいたストレチアの菜はユーモラスな感じがします。松の葉をぬいて高くのびた花、これらの花材が花器の形と調和して、花、花器の配合以上に、出来上った作品の中に、別の新しい感覚を生み出しているのではないでしようか。いけばなは美術であるし、ある場合にはそれを見る人逹に音のない汽築をもつて、その心を呼びかけてくるものです。それは花の歌ででもあるし、花の文学ともいえる性格のものを、私逹に伝えてきます。ここではじめて「植物美術」の美しさを、いけばなの1に見ることが出米るのです。毎月1回発行桑原専慶流No. 65 編集発行京都市中京区六角通烏丸西入材秋天のぷ五巣松ストレチア桑原専渓桑原専慶流家元1968年10月発行いけばな

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