テキスト1968
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朝顔秋海棠などは「花の命は装飾•、、切七月の夏に入ると花がもちにくくなります。三日間ももてばよいほうで、活けるとすぐしおれる様な弱い花もあって、そのうちでもなるべく日もちのよいものを選んで活けることになるのですが、日もちのよい花はなんとなく重くるしいし、すすき、朝頻、芙蓉の様に清涼な感じのものは、切りばなとして日もちが悪い。ところがこれも考え様で、切り花として適当でないものを無理に活けようと考えることも間違つているし、芙蓉、はげいとの様な花は庭に咲き庭で色づくものをながめるほうが、どんなにか美しく見られることであろう、と思います。むくげりたての花を、篭や小さい花瓶にさつと軽く投入れに挿して、花のうるおいのある時間だけを楽しむ、といった考え方が、そのほんとの花を鑑貨することになるのでしよう。そんなに考えてくると一体、いけばなのいのちと、いのち短かい花の魅力について、考えさせられることが段々に浮んできます。夏の花短かくて」という言葉もありますが、また短かけれこばそ尊い花のいのちについて、そのよさを一層に憾じることにもなります。夏になると朝の茶事の花として、むくげが喜ばれます。朝露の中に咲くむくげを切りとって、店の間のかけ花などに活けてみると、そのすがすがしさは、他の花のどれよりも清らかに美しく見られます。すすきに秋海棠の篭の花、朝顔のかけ花など夏から初秋へかけての風雅ないけばなでありますが、この様な日持ちの短い翁々しい花は、夏の花らしい清楚な味わいをもつているし、また長もちする花に見られない一種の魅力をもつているものであります。夏になると鉢植の「朝顔の会」が方々でひらかれます。次々と咲く花であっても、毎朝ことに咲く朝顔の清新さは夏の風物として、まことに味わい深いものであります。私達の夏のいけばなの中に、こんなに「反を味わう」時間的な花があつてもよいわけで、ある時間(午前中など)のうちに楽しみ、その後は、とり拾ててしまう、そんな考え方があってもよいと思うのです。夏の花は日もちが悪いが、もちにくい花を氷くもたそうとするよりも、新鮮な花をとりかえて、そのすがすがしさを味わうところによさがあります。月下香の花、夕顔、待閂草などいずれも夏の宵に咲く、時間的な花ですが.短かい時間的な花なればこそ、それを楽しむ魅力もあるわけであります。あつさりとして美しく、夏らしい味わいのある花、しかも日持ちがよい、というのが一ばん理想的ですが、また時間的に美しい花、短かい時間だけを楽しむいけばな、という考え方もあってよい、と思うのです。花を活けてから、さてどこへ飾ろうかと考える場合もありますが、普通は活ける場所をきめ、花器も大体きめてから活けるというのが一般的だと思います。いずれにしても、いけばなは装飾する場所によく調和することが必要であって、床の間にしても、その他の場所でも、花器とそのいけばながしつくりと調和することが大切であります。活けた花がどんなに巧く作れておつても、飾る場所に落舒きの悪い場合があります。おけい古の作品を持つて帰って活ける場合でも、曹ったままの形では、場所にしつくりとしない場合も当然あると息います。第一、大きさの違いもあるし、花器がかわると当然、考え方をかえねばならないこともあると思います。いけばなはその場所にびつたりとすることが必要ですから、花器をかえ場所がかわった場合には、それはそれの調和を考えて活けなおすことが大切であります。場所によく似合う様に、大きさや分量もかえねばならないし、目分の花器に安定する新しい形につくりかえることも必要となつてきます。部屋に花を飾るということは、いけばなだけを置くということではなく、同時に部屋の装飾をすることであります。装飾というと特別に飾りつけをすると思われやすいのですが、ここでいう装飾はそんな意味ではなく、いけばなを飾る様な心であれば、蛍内の清掃整頓にも十分、心をくばるべきだという意味であります。いつも清潔な室内、花器と台には、常にほこりなどあってはいけません。花器の水は清らかにとりかえること、いけばなはいつも新鮮な憾じに見られる様、手入れすることが大切です。部屋に花を飾るということは、部屋全体が気持ちのよい場所である様に、その中に美しい花が活けられてある様に、それが望ましい訳です。床の間の場合は懸軸、懸額などが中心になり、床の問は書画を鑑賞するための場所でもあります。書画の鑑貨をするために、時としていけばなが不必要という場合があります。そんなときは花を他の場所に飾つて、下座の板の上でも、また座敷の別の場所を考えていけばなを飾りつけることにします。これと反対に、いけばなを主に考える場合は、いけばなに調和する書画にとりかえるべきだと思いますし、立花などを床の間へ飾る場合は、懸軸をとりやめて、床の壁の中央に花一瓶を飾るといった行き方をします。要するにいけばなに対するその人の考え方によっては、いけばなを引き立てる装飾をしてもよい、という訳です。座敷にはできるだけ無駄な装飾をしないで、簡浄といった悠じの飾りつけが好ましい訳です。(専渓)清楚の美11

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