テキスト1968
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京都奥嵯峨に念仏寺という寺がこそいみじけれある。このあたりを昔、化野(とあって、この化野の風葬と鳥辺あだしの)といい、草葉の露と消山の火葬とを対句として、人世のあえた死骸をこの辺りに捨て、風われを表現した言葉がかかれてい葬に附した名残りの土地であるる。今は、ここに念仏寺があり、草。兼好法師の徒庵の小寺院に面して、写真の様な石然草に化野の露仏が千数体立ち並んで、異色ある名消る時なく鳥辺山の煙立さら貼となっている。(別の写真は八月でのみ住果る習なれば如何にあだしのの三種を紫がかった白泥の鉢に盛花とした。述は仏花としては使われても、いけばな材料として活けられることが少いのだが、活けてみるとその花首の形といい、茎の柔かい曲線と直線が面白い形を見せる。あだし野の夢を描く花として、しだ、かやなどの野草をあしらって活けたが、写真の技術にもたすけられて、そのわびしさがよく出ていると思う。しても面白い作品である。蓮の花をよくみつめると、仏くさいもち味をはなれて、案外、新しい憾党のある花である。カラジュームの葉によく調和する。小さい花の紅蓮、しだ、しまかや、ここんな物語にとらわれない普適の花とA-8物十六日に行われる万灯供従)の哀れもなからん世は定めなきt . .、. 1、-'鼻'ヽ“ ` ' ' , . • ` 、9念仏寺ねんぶつじ ~-化野. .....' ' , l , 疇一-~ ,

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