テキスト1968
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条城二条城は慶長八年(-六0三年)徳川家康によつて、京都の居館として造営された、と伝えられる。さらに寛永元年(一六二四年)徳川家光によつて、伏見桃山城の遺構をうつして完成されたものである。徳川十五代の興廃をともにした由緒ある城で、桃山時代の典型的な書院建築であり、わが国文化財の一文宝庫といわれている。この写真は本丸の城壁から内濠を見おろしたもので、普通の観光コースから少し角度を外した位磁から撮影しだ。一枚のほうは内没に面した一角に咲いたひるがおの花、古城に咲く花、まことに詩趣のある花である。東山時代の金閣銀閣、江戸初期の二条城、いずれも京都に残された武家時代の遺産である。立花は東山時代にはじまり江戸時代に完成したいけばなである。そのはじめ、武家寺院の飾り花としてはじめられた立花は、その形式の中に格調のきびしい感じがあり、広大な占院に謁和する威厳をもつ花といえる。古城と立花、まことに共通した時代感覚があり、その中に棗壮な形式美を見ることができる。この立花は(桧、松、菊、杉、椿)などを材料として、七月二十日に作った桑原専渓の作品である。高さ四尺程のやや小品の立花だが、流しに姫百合の朱色の花を1本、見越しにサボテンの濃緑の茎3本を入れ、菊の白と椿の淡黄の業を配合して、色彩の美しい立花である。立花(りつか)行の草花形7 .... (7月20日作)

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