テキスト1968
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花の名はかな字で書くことになている。さらに日本の植物は平がな、洋種の植物は片かなと、一応は定つている様であるが、これも用いる場合によっては、かなり自由な解釈がある様である。例えば、専門の植物学の場合はかなり統制をとることができるが、文学の場合には、花の印象、字句のもつ香り、味わいなど、その作家の考え方によって仮名字を使ったり、漠字を使ったりすることになる。それぞれの必要があつて考え方がわかれるわけなのだが、さて私逹のいけばなではどうであろうか。これについては、これまでこのテキストにも書いたことがあるのだが、私達いけばなを活けるものにとつては、花は作品を作る糸材、もととなる材料であり、どんな場合でもついてまわる必要な材料といえる。従つて花の名は、それが花葉枝、茎根にいたるまで、よく知ることも大切だし、私達が「花」という言葉の中には、咲く花、つぼみ、枯花など.. .. の他に、植物のあらゆる風姿をも含めて「花」という言葉であらわしていることも、これは習慣ともいえる約束なのである。「この花はなんという花ですか」「どんな字ですか」と、ときどき質問をうける。「花の名はかな字でよいのですよ」と返事をするのだが、そう答えながら、自分自身そうもいえない実際があるので、これも機会をみて、お話したいものといつもそう思っているのである。考えてみると、私達がいけばな材料として花をみるとき、植物として花の品種と名を正しく知ることが大切だと息うし、その花の名はどんな字(この場合はすぐ漢字を考えることになる)を習くのだろうと考える。植物名はかな書きでよいのだ、と知りながらも、そうもいい切れない楊合がある。たとえば「おみなえし」と「女郎花」と書く場合、かな書きは読みやすいし誤りがないが、おみなえしの花の情緒と花の姿を考えると「女郎花」の方が感じがよく出るし、「松」「桜」「梅」「百合」「菊」「桔梗」の様に一般的に翌慣として使われている漢字は、むしろかな字よりもわかり易く、その漢字自体にその植物.. .. の印象をもつている関係から、それの方が使い易く便利だという場合がある。これとは反対に「かきつばた」の燕子花「むくげ」の植、「なでしこ」の撫子、などとなつてくると、これはわずらわしく、全くかな字のほうがよいと思っ様になる。そこで私達のいけばなは、植物としての正しい書き方をした方がよいと思っ場合もあり、文学的にその花のもち味を表示するために、漢字を.. 使った方がよい、と考えられる二つの面をもつことになる。いけばなは花の美術であるから、そのいけばなとしての作品がよければよいのであって、花の名はあまり厳し←考えなくともよい、という考え方も生れるだろうし、花の芸術である以上は花の名も正しく、その字体さえもはつきりとすべきだという意見も出てくるに迩いない。ここで私は考えるのだが、いけばなに用いる植物名とその用字は、植物学の定めたところに従うのがよいが、また一面、美術的、文学的な面から考えて、時としてかな字、またある場合は漢字を使って、その花のもち味を、一層深く印象づけることが必要でないかと思っている。そんな考え方で、このテキストにも両方を交えて使っているのだが、読む皆さんもそれをよく理解して欲しいものと、常に考えている次第である。乱雑でなく、はつきりとした考え方をもつて欲しい。5 花の用字っ. パインアップルリリー白ばら

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