テキスト1968
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数1c 三伏(さんぷく)の暑熱の季節である。京都は七月の祇園祭、八月の大文字送り火と宗教と観光の行事が引きつづいて行われるのだが、いけばなの方は、八月に入ると花も少なくなり、その少ない花材の中からなんとかよい花を見つけ出して活けることになる。最近、函芸栽培の新種の花が次々と見られるようになり、八月といえども花を活けて下さい、と言わんばかりに、花屋さんの方も中々商魂たくましい。この煩(七月初旬)トルコ桔梗のよい品種のものが、稽古花として使われるようになった。最近町、六年前から見ている花だが、つほみ、開花、花茅など弱々しく一人前には使える材料ではなかったのだが、ここn前から江けているトルコキキヨウは、これまでのものとはすつかりよくなって、まことに仙いよい種類のものが出廻つている。色もうす紫のいい色だし、緑のつぼみをとり去つて活けると中々よい。きのう花屋の店頭でリークボールのまつ赤な頑のものを見た。これは赤インキを吸入させたものだが、糸人の人はちょつとだまされるほど、うまく染め上つている。スイセン、カーネーションの紅色、青色に染めたもの、こんな色染(色索吸入)のものは下品だから使わぬ様にしたいものです。菊は一年中、うんざりするほど見せつけられて嫌になりますね。ことに黄色は大輪といえども、いけばなが平凡になるから注意すること。黄菊は一種挿に限ると思う、ただし山菊の黄色は秀逸゜緑葉の木ものには白菊がよい、黄菊は敬遠して白菊を用いることです。紅菊、褐色の菊の中にこのごろ丁字(ちょうじ)という秋菊の作りかえの新種が出ているが中々よい、細口で葉もよく上品な種類である。とにかく、こんなにつづきつばなしに菊を活けさされては、全く菊ノイローゼである。花屋さんもちょっと考えて下さい、と言いたくなる。最近、しまがやの鉢に植えた大株のものを買った、庭の装飾になるし入用のときは一本、二本と切つて活ける。すすきはこれに限ると息う。七月なかばになると夕栃草が咲く。ろうたけた女の様に、幽雅なうす紫の花が、しずかに咲く。夕彩とはいみじくも名づけたものてある。ハ月の朝筋草はその名の如く明るい藍色の小さい花をつける。朝祝と名籾、まことに花の名は美しい。(専淫)3 葉月八月⑪ アテチョークキクガマタメトモユ')

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