テキスト1968
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(写真)先代家元12世冨春軒桑原専渓作まついつしきりつか明治34年3月ご京都東福寺献花松一色の立花江戸初期から伝つている桑原専炭の立花の中でも「松のは、ことに優れていると思う。流儀としての特徴のある形式や技法にも独特なものがあるのだが、古い絵図や明治以後の写真などを見ると、実に豪壮華麗なものが多い。先代在世の頃、私も助手をつとめて、親しく見ることの出来た立花のうちでも、この松の立花が一ばん多かったと思う。松一色の立花は芸術51オのときの作品で最も充実した頃的にも最高の、いわば奥許しの習いものということになつているのだがたしかに、品格と威厳を尊ぶ立花として、最も技法もむづかしく、立花としてのもち味を充分に活かすことの出来るのは、この松の立花である。桑原専慶の伝書の中に「松の四季ともに立つるといえど、菊漸く終るより紅梅やや咲く頃までこそ、松の一色は面白けれ。されば神無月時雨に染めぬ松とはいえど、かつは葉も黄ばみ箱にいたみ雪にうつもれて、替りたる葉色もいつるは、山ももあらはに峯もさひしき頃なるべし」とあって、松一色の立花は四季の松の風情を、いろいろうつしかえて活けることが本意となつている。ここに掲げた写真は、先代家元のの代表的な作品といえる。左右一対の大作で、そのうちこれは左勝手の「砂のもの立花」である。さて、この写真を見ながら考える一色の立花」のだが、この様な雄大な構想をもつ立花は、作者が充実した技巧と覇気に富む精神力をもつものでなければ、作り得るものではない。その気宇の壮大であること、技巧の精密、材料の蒐集に対する努力、優れた考案、すべてが完全に運んでこそ、作り得る作品であると思う。どのいけばなにでも同じことがい一色は祝儀第一の花にして、えるのだが、技巧の精密で美しいということは、ともすれば作品の力が弱くなり覇気に乏しい作品になりやすい。ことに大作の場合は、離れて見ることが重要な条件となつているから、こまかい技巧は返つて作品の力を弱め、本来の作者の心を伝えることが出来ないものである。おおまかな技法で、しかもその根底をしつかりつかんで、その始めから完成後の結果をよく見通して作り上げて行く。精密な計算のもとに荒いタッチで、しかも要所要所はびんと張りつめてはずさない。観る人の立場に立ちながら自己の作品を作りあげて行く。これは、能の世阿弥の云う「離見の見」l|能の演者が自分を離れて自分を見る心ーと同じ意味をもつものである。こんな考え方が大作を作り得る必要条件であつて、ここに掲載した「冨春軒作、松一色の立花」は、その真意をよく具体化したものと思うのである。この立花は「砂のもの」といつて、花器(砂鉢)に砂を入れることが伝統的な形式となっており、そこからこの言葉が生れたのであつて、砂鉢(すなばち)という花器の名も砂を入れることから、名づけられたのである。伝統的に昔から行われる京都東山東福寺の「ねはん会」に献納の立花である渓)。(専)毎月1回発行桑原専慶流編集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元1968年1月発行No. 58 いけばな

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