テキスト1968
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最近10年ほど以前力ら、絵画彫刻の分野にいちじるしい変化が起つている。その中に特に気のつくことは、絵画の作品に石背その他の材料を使つて、平面的な画面に盛り上りを作つている作品の目立つことである。これと反対に、これまでの石背像、木彫、石彫などの彫刻が、色彩的にいけばな作家の立体造形桑原専渓は単純であり、むしろその単純純粋であるがゆえに、その目標をはつきり定めていた作品が、最近に至つて前衛的立体造形ともいうべき新しい彫刻様式が作られる様になり絵画と彫刻の距離が段々と近くなつて、これまでの絵画彫刻に対する考え方に修正をせねばならぬ様な作品が作られていることである。絵画的な彫刻ともいえる作品である。ついて読売新聞の文化の。ヘージに、次のように述べている。美術評論家土方定一氏は、これに「ベネチア・ビエンナーレ国際美術展に参加する国内作家の展示が先日、東京国立近代美術館で行われた。そこに高松次郎の遠近法を劇場的に構成した作品、三木富雄の耳のお化け浮き彫り、山口勝弘の光と色の構成といったこれまでの彫刻、絵画のわれわれの考えから全く逸脱した作品が展示されていた。名称のつけようがないので、コンクールの応募規定などには、絵画、彫刻、立体作品などと規定されているが、これでは彫刻は立体作品でないような印象をうける。名称はともかく、この様な絵とも彫刻ともつかない、というより、彫刻のなかに色の様な絵画的要素がはいり、絵画作品のなかに石府(せつこう)人像が貼りつけられたり、またこれまで絵画彫刻の材料とは考えられなかった工業材料が自由に使われ、その造形的な可能性に作家の芸術についての仮説が賭(か)けられようとしている」この一文をみると、最近の絵画、彫刻についての新しい動きが想像されるのであるが、私は実際、このコンクールを見ていないので責任のあることはいえないが(近日上京してその作品を見たいと思っている)新しい美術が、生々発展して行く状熱が考えられるのである。ここで、私共、花道家の作る立体造形について考えてみようと思う。彫刻に色つけをする、絵画に石背の盛り上げをするなどのテクニックは、すでに十年ほど以前から行われている方法なので珍らしいことではないが、それを利用して新しい積極的な作品を作ろうとする態度は、これはどこまでも押しひろげて行くことのできる新しい分野でもあるし、また当然、そのように展阻して行くべきものと考えられるのである。いけばなの世界に彫刻的な立体造形作品がつくり始められてから、すでに三十数年を経過するのだが、ある時期には、いけばな界の一種の流行として、いけばな展というと、殆どこの傾向の作品の多いある時期もあった。昨年、東京で開催された日本いけばな芸術協会発会記念展を契機として、いけばなはやはり植物のいけばな、という本来の考え方に戻って、造形作品の出品数が各地の花展にも少くなったのは事実である。花道界の流行性というか、最近、古典立花や生花の出品が多くなり、一般鑑貨者も「いけ花らしい、いけ花」に好意をもち、作家の方もこれを敏感にキャッチして、その様な作品の出品が多くなったことは、一面よろこぶべきことであり、一面その流行性を考えると浮薄な迎合を、残念に息うのである。作家には信念が大切である。自分の作ろうとするものが、社会的にどう受け入れられようとも、それに迎合追随することはよくない。さて、私は5月28日より6月2日まで大阪高島屋で開催の、日本いけばな芸術展にここに掲載した「立体作品」を出品した。この作品について、私の作った考え方、技術、その結果について、自己紹介のようになるが、その解説をしてみようと思花道家がなぜあんな作品を作るのか、どこに使う目的があるのか、その見方などについて、なるべくわかりやすく説明をしてみよう。掲載の5月28日—6月2日入っ゜桑原専渓作品(造形・題海渕)日本いけばな芸術展出品(大阪高島屋)10

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