テキスト1968
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江戸末期から今日に伝えられた「生花」ないけばなとして、その形式、花型、考歪方、技法など、昔から伝ったそのままを今日に伝えている。生花は伝統の花であり、ことに流儀の花型や考え方が定つており、そのまま、正しく活けるのが生花であることはいうまでもない。正花という言葉があるぐらい、約束の通りの花を活けることになつており、作者の考え方は、その約束や定型の中で、自然の枝葉花をどんなに使いこなすかというところに、その創作がある訳である。しかし、その方法を定めた江戸末期とは、すでに時代もうつり変つて、花器、花材はいうまでもなく、活ける私達の生活や、思想的にも自由な、'1せいかーは、古典的ひろやかな考歪方をもつ様になつている今日では、当然、伝統の花といえどもそのよきものは、尊重し、わずらわしきものは改めなおして、今日に調和する生花を活けようではないかというのが、いわゆる「生花の新様式」の考え方である。勿論、この新しいということばは、あくまで伝統の優れたものを護ろうとする考え方で、古いものを全面的に自由に変えようという、急激な考え方ではない。生花の形式技法の中に、新鮮な考え方を加え、より以上、美しいものを作ろうとする考え方であることは勿論である。随つて、伝統そのままの古典的な生花はそのまま結構であるし、新しい工夫のある生花は、またその工夫のあるところを観賞して、要するにいけばなとして美しいものか、どうかを見ようとするのである。さて、ここに―つの例として、「がま、ためとも百合、ききようの水盤株分挿」の生花を掲載した。伝統の考え方は、がまは水草、百合、桔梗は山草であって、交挿することなく、水陸の区別を立て、中心に小石を置いてそれを象徴することとなつている。その考え方を、ただこの三種の夏の草ものを合挿するという、自由な考え方で、出生にとらわれない活け方をした点に、少し変ったところがある。2 @ 伝統の生花と新様式の生花6月に入って,笹百合の花を見るとまもなく,ためとも百合の季節となり,鬼百合うば百合の7月,やがてかのこ百合の8月となります。季節のうつり変りはまことにあわただしく,また,それゆえにこそ暮しの中に生活の区切りを作ることになるのでしよう。@

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