テキスト1968
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子供はいくつぐらいからお花が習えるのでしよう、と、お母さんからよく聞かれます。におそうな“でり すにねなえれ、ばま大丈、夫3年で生しぐよらうい、と答歪ているのですが、ここに登場してもらったのは、宇治市上田慶樹さんの可愛いいお弟子さんで、向つて左側の白いカーデイガンは小西敏博君(9オ)。黒いプラウスのお嬢さんは寺川あや子さん(8オ)のおふたりです。小西君は始めてから一年あまり、あや子さんは6ヶ月前から勉強しています。今日は盛花のお稽古、なかなか考えて活けていますね。お行儀のよいこと、花盆も花もきちんとして、ごみ―つ落ちてませんね。こんなに座よい子のいけばなつて足が痛くなりませんか。うしろ姿の可愛いいこと、どうぞしつかり勉強して下さい。このくらいのお年から習えば、きつと名手になれること疑いありません。永くつづける様にがんばつて下さい。観音寺市の高井慶英さんのお稽古場には、小学生のお子達が沢山習つておられます。皆さんの熱心さには感心するのですが、一回のお稽古に二つから三つくらいまでお花を活けて、皆さん一生懸命ですから、さぞ上達が早いでしよう。桑原の家の桜子もようやく一年生になりました。時々、見まねで活けていますが、案外、形になつています。もう少したてば皆さんのお仲間へ入れていただきます。花鋏が完全にもてる程度、これが子供のお稽古の始められる時期でしよう。このごろのいけばなには段々と季節感という、自然の香りの様なものが少なくなつて行く様に思う。それを一ばん痛切に感じるのは、一月二月の温室花の盛んなこのごろである。私達は日本固有の花と外国種の花の区別を段々と忘れて行く様に、この厳冬の季節に温室の花をみて、それが普通の様に思うほど、季節感が混迷しているのである。晩秋に木の葉が落ちつくして枯々となった樹木や、雪柳、がく、やまぶきの緑の茎などは、やがて新しい春を迎えて私の気づかないうちに、ひそやかに若芽をふくらませて新しい装いを始めている。ちやがら、はたうこん、くろもじ冬の季感ねこやなぎの様に、昔から早春のいけばな材料につかわれている木々をみると、いづれも、そぼくな味わいの中に自然の早春の深い感じをもつている材料である。荒蓼とした自然の姿の中に、よく見つめれば、春のきざしの若芽と、わずかながら春の色を発見することが出来るものである。冬の木やかんほく、水仙、なたね、せんりよう、つばき、柳の芽、猫柳、うくいすかぐら、黄梅、梅の種々、厳冬の中のみものの美しさ、考えてみれば一月二月の自然の花材は多い。そして、それらの材料は早春の色と香りを、自然のまま私達に見せてくれる。やがて猫柳も大きくなり、薮つばきも咲き出し、沈丁花も色づいてくる。この自然のうつり変りの、冬の姿を、私達は段々と忘れて行く様である。黒もじになたね、梅のまだ褐色のかたいっぽみの枝に紅椿を一輪添えた瓶花など、季節のほんとうの味わいであろうし、冬、早春とひと月ごとにうつりかわる此のごろの、ほんとの味わいを盛るいけばなが必要である。温室の美しい花をみると、簡単に手が出やすいのだが、ときどき、ほんとの季節の花を入れたいものである。こんなお話をすると、一体、花のほんとうの季節というのは、どの辺に標準があるのかということにもなるので、これはまた別のお話として、とにかく、自然草木と温室栽培の花との一ばんはつきりとした、この季節に、それぞれの区別と、それぞれの美しさについて考えてみたいものである。、ニ.... ...

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