テキスト1968
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宇治橋を渡つて平等院の堤の道を行く。郷ノロまで六キロの川ぞいの道である。この追は田原から奥山田へ通じる正しくは、宇治市田原町である。山ぞいの丘陵には茶畑が婉婉と、宇治茶の本場を息わせる風景がつづく。すみきった空は高く青く、しずかな晩秋の賜がめじのとどく限りの丘と森、点々と見える膜家とその生活を浮き出させて、まことにのどかな景色である。小高い丘の迅をぶらぶらと歩く。写真に適した面白い材料がないものかと小西君。使える風景を考える私゜「京都といけばな」に.. 漸くさがしあてたのがこの写真の場所であった。すつかり葉の落ちつくした柿の実は、青い空を背景にして、それこそ数しれないほど群りみのつて、これはまさに柿の花盛りである。少し離れたこちらの高台にぬつと立つている案山子の丸坊主、これはまた面白い対照である。かがし、鳥おどし、鳥追い、そおず、などと呼ばれる案山子。彫に焼け風にさらされたこの案山子のユーモラスな頻゜写真としては面白けれど、わがいけばなの煩としては随分むづかしいと思いながら、とにかくこれにきめたと私。小西氏がシャッターを切る。こ。ナこの写真はユーモアのある風景である。山村の秋色ではあるが、画面に溢れる面白さは、まつ白なかがしの頭とその頻である。偶然にも柿の実をバックにした奇抜な風景はまことにほほえましい。この感じはよくわかるのだが、これを「いけばな」として表現することは全くむづかしい。とにかく、これも「京都の風景」として、なんとかそれらしい「いけばな」を作って直をふさぐことにしちょうど、その附近にあった杉林の中から「くまざさ」「すすき」をかりとつてかえり、それに「さん菊」の黄花をあしらつて瓶花を作った。花器は白い上ぐすりのかかった壷を選んで、この三種の材料で宇治山の初冬をしのぷ、ということにしたが、さて、かがしのユーモアはどこにあるのかと問われると、それは花器を見て下さいというより仕方がない。丁度、ありあわせた変った形の壷、これはぐりぐりと曲線をつけたふくらみが、なんとなく白い案山子の印象とその面白さに、調和した感じをもつている様に思えるので、そんなところを取合せて「宇治のかがし」を瓶花に作った次第゜•••• ,宇治のかがし

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