テキスト1968
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④ 洗堰(あらいぜき)を越えて琵琶湖の水は、瀬田から宇治までを瀕田川、宇治に入って宇治川と名をかえる。宇治の平等院から六キロほど上流に竹待橋というのがある。左へ渡ると外畑、内畑を経て南郷へ行くことができ、右に折れる道は田原から奥山田、石山へ通じる山道である。今日は11月のはじめ、宇治山は濃い緑の中に少し紅葉をみせて、こ。t 仏統の歴史をもつ宇治川のイメー七時のこの時間は、あたりはただ静寂、山峡をこしてさしこむ朝の腸は、能を斜によぎつて清浄の気が一而にただよう。川の而から立ちのほる水蒸気がゆらゆらとして、早起きしてここまでたどりついた私を慰めてくれる。宇治川をかこんで右は六石山、左は高尾山である,宵待柄を右に折れて郷ノロから田原の方へ、しつと午前りと涵にぬれた野路を歩く。宇治川の岸に見える岩礁と水辺の情趣を心に描いて「花と自然」の調和をいけばなの意匠として作ってみジは、古典的な花「生花」と相通じる香りをもつているように思える。瓢で作った舟型の花器に字治の柴9月を連想し、がつしりとした自然木の台は岸辺に見える岩礁を慇じさせる。諷の花器は右方がへさき、左カともの姿である,花器に中筒を入れ、それにくばり木を前後にかけて、水仙3本を活けた。生花の約束として、舟の花器の花型はともの方向へ流れる様に枝葉をさし出すことに定められているのだが、この写真の水仙のいけばなは、左方へ副を流れる様にさし出した、「右勝手副流し」の花型である。真、湖、留の三ところに3株を入れ、一株の葉組みはそれぞれ4枚組みに作ってある。初期の花であるから、花の位間を低く沈めて挿し、袴.. (白い株の部分).も低く作る。初花の感じを見せるわけである。古典的なこの水仙の生花は格調の高い気品を感じさせるし、ほそぼそとしたこの花の風雅は、静寂な歴史の土地、字治川の古典に調和するのではなかろうか。伝統の生花の一ばん好ましい姿は、この様なおちつきと静けさであるといえる。宇治川の岸辺を歩きながら、考えついたのがこのいけばなであった。これは「京都を活ける」ともいえるそのこころの花である。8 ... 宇治川挿花と文写真桑原専渓小西進•• が•••• 京都といけばな

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