テキスト1968
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作者の自分が気にいった作品というものはなかなか出来るものではない。このテキストの写真でも、期日に迫られてまあまあという作品写真を入れるのだが、時々、これはいいなと思うものも隅然に出来てくる。偶然というのはいささか無宜任とは思うのだが、三四時間のあわただしい時間に、次々と活けては写真にとるわけで、これはすばらしくよいと思つても、写真となると案外つまらない作品であったり、色彩的に優れておつても、白黒写真になるとすつかり計鍔が辿うということになる。ことに写真に出ないのは、花のもっ感じである。花には表面だけでは理解出来ない雅致、幽玄といった味わいもあり、実際の作品を見ると、よく感じられるのに写真ではうかがい知ることの出来ないもち味がある場合も多い。そんないろいろな条件を越えて、作品もよく、写真もよしというものが、時々出来てくる。30瓶40瓶と作っているうちに、一瓶ぐらいは出来るのだが、こんないけばな写真は、永久に保存したいと思うのは、ただに私の誇張だとのみいえない花道家としての喜びである。ここに掲げた「しゅろの実、ガーベラ」の盛花も、その数少いうちの一っである。独りよがりかも知れないが、私にとつては大切な作品の一っである。写真のいけばなシュロの実は黒く褐色に枯れている。白泥に淡褐色のうわぐすりのかかった大鉢へ、シュロの実のかたまりを五つ入れて、どつしりと安定させ、ガーベラの大輪咲のものを前方ヘ傾けて2本、後方へ5本挿した。しゅろの実ガーベラ色は淡黄、淡紅、オレンヂ色などが交つて美しい。集団の実のかたまりの中から、ぬき出た浅みどりの茎の直線、その対照に変化があると息う。力強く色彩的にも而白い作品である。ガーベラを一、二本活けるのも淡白清楚な悠じで美しい。しかし、これを二、三十本も盛花に人れ、花の配列や色彩の配附に技巧の美しい盛花、これも特殊な味わいがあって、優れた作品となる。数少<挿すことによって味わいのある花もあり、集団的に花材を多く使って、そこにはじめて価値の生れるいけばなもある。まつすぐな猫柳の枝を二、三十本ばかり集めて、直立させた場合、そこに集合の美というものが感じられるであろう。とくさの茎を10本はかり挿して、ばら、水仙などをあしらう。これはよい取合せである。しかし又、とくさを50本ばかり水盤に立て、それに紅梧の花の美しいものを選んで、殆ど同じ背たけに揃えて活ける。こんな花を特殊な味わいが出る。一人で踊る舞と、数十人で踊る集団舞踊とが、その味わいも、屯量感も迩う様に、また集団は個人の数多い集りであるという以外に、そこから別の芸術が生れる様に、いけばなの場合も、材料の分量が特に多い場合は、そこに特異な集合の美が生れてくる。特さん、ときどき花材の分量を思い切つて多く使って活けてごらんなさい。そして、技巧の美しい作品をつくる。いつもと迩う面白い結呆が生れるに迩いない。淡彩の美に対して、屯厚の美も味わい深いものである。集合6 の美

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