テキスト1967
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最近、三つの都市で催されたいけばな展を見て、いろいろ感じることが多かったが、特にその中に、いわゆる東京風、大阪風、京都風といつたもの、これはよきにつけあしきにつけ、それぞれ体臭の様なものがあるので、それを話題にしてみよう。大体、東京、大阪、京都と並べてみて、都市そのものに大変な性格の相違があるのだが、また、東京人、大阪人、京都人と個人の人柄の調子もおおざつばな話だけれど、それぞれ違いがある様である。例えば、だといいたい様に見えるし、大阪人は二のものを一だといつて心の中でにやにやしているといった調子。京都人は一のものはあくまで一だと、融通のきかない調子。つまり不必要な潔癖性がある。さて、私のせまい見聞ながら、三都で催されたいけばな展を観て、感じるところを書いてみよう。東京というところは、高級なものと、下級のものに別れて、まん中というのが比較的少ない様に思える。花展の出品をみても、すばらしくよいものがあるかと思うと、これはまた俗っぽいけばなの東京、大阪、京都東京の人は一のものを二いものが、かなり多くある。いわゆる上町(うえまち)と下町(したまち)の差が甚だしい感じがある。いつも東京のいけばなを見て感じるのだが、アイデアの新鮮なこと、潰洒でしやれた味わいのあること、新しい感覚をうける作品、いかにも東京好みのすつきりとした印象をうける作品。こういった傾向の作品を見ると、これはどうしても東京人の好みで、いいものだな、と感心するのだが、その一方では、俗も俗、甚だしいロークラスの作品が雑居している様に思をる。また、概観的にいつて、東京のいけばなは淡泊な味わい、軽やかな味わいの中に、ことに新鮮な感動をうけることが多い。伝統的なものには、古流、遠洲流の様に、江戸版画の味わいの様な流暢で品位のある生花を見ることもできる。これに対して、大阪の花は厚手の味わい、ぼつてりとした豊かな美しさの中によきものが見られる。技巧派ではあるが、その中にややしつこい味わいもある。油のよくのったビフテキの味、こんな調子のものが多い。意匠過剰の作品も多く、一ぃ家華な厚手の中に、ともすれば俗つぽい趣味のものもかなり多い。勿論、大阪のいけばなにも、上町と下町とがあって、灘洒なニューモードがあり、一方には白足袋着ながしに草履ばきといった、悪い趣味のいけばなもかなりある。総じて大阪の作品は厚手の力強さ、華麗な美しさ、その中に文楽にある様な庶民的な芸術性があると思う。東京のいけばなのよさは、洗練された近代的な美しさ、大阪のよさは庶民性のある豊かさということになる。京都のいけばなは、花道発祥の土地でもあり、伝統の作品にはしつかりとした根性があり、その中に、常に新しいものへの研究というところによさがある。伝統の家元も多いし、花道の歴史の生れた土地として、古い流派も多い。また最近は新進の有能な花道家の一ばん多いところといわれておるのだが、京都人の性格として純粋性のものが多く、豊かな壮.. 瓶花大な性格のものが少ない。たっぷりとした美しさ、豪華けんらんといつた調子のものが案外少ない。常に研究的であり創作的であるのに、活動力をともなわないのは、通じて京都花道の欠点ではなかろうかと思つている。京都人は常に新しいものの発見には力をつくすが、それに大衆性をもたせたり、それを事業とすることには不得手な性格をもつている。いけばなの展覧会や、個々の作品を見ても、常に研究的ではあるが、表現力が充分ではない。京都花道の―つの性格である。従つて京都の花展はまじめで、ショウ的な性格が少ない。派手な美しさに乏しいが、まじめな作品展が多いと思っ。(専渓)ななかまどさんぎく... ••••

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