テキスト1967
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やまひやくぢつこうやまさるすべりといつても同じこと。あるいは「あかぽうの木」「あかばしの木」いろいろな俗称がある。手近かな山にあるかんぼくなのだが、11月に入ると、他の山木にさきがけて紅葉が美しく、緑の樹木の中にひとむら、ひとむらと深い紅色の見えるのは、この山百日紅である。桑原専渓手にとつてみると、株もとはあせびの様に褐色なのだが、枝先に及ぷほど、深い紅色に色づいて、光沢があり、紅葉がことに美しい°黄葉はなく緑葉からそのまま紅色になつてゆくのは、ちょうど錦木(にしきぎ)と同じ様に、素朴で野趣の深い山木である。私は、いろいろな山木の中でもこの山百日紅が好きである。特に有名に珍重される木でもなく、美しい花が咲くでもなく、人に知られない雑.. 木の中で、自分ひとり美しい紅葉の秋を迎え、やがて落葉して冬の中へ入って行く。隆冬になつて、雪の積る中でさえ、山百日紅はいよいよ深い紅色とつややかな木肌の色を増して行く。なんの用途もない雑木であり、いけばな材料としてさえ、かえり見られない木でありながら、さて、手にとつてみると、初夏の若葉の頃も、紅葉の季節も、落葉の冬も、いつも雅趣の深い材料だと、しみじみと好きにな白椿盛花れるのである。さらに面白いのは、渋い落着のある味わいが感じられるとともに、その反対の明るさ、用い方によっては今日的な新しい感覚にびったりとする、直線的な形と色と感じをもつている木でもある。例えば、山百日紅の疸立した紅色に、カトレア、カーネーションの赤などもよく調和するし、この木にアカシャ、モンステラの葉の様な観葉植物も調和する。二、三本、直線の枝を立てて小品だ活けるのもよく、数多く群りを作つても味わいのある材料である。まことに融通自在の面白い木、山百日紅である。しかも花屋にはない野生の雑木で、四季の変化があり、採集無料の木である。山に近いところなればどこにでもある便利のよい材料でもある。私の住む京都では、北白川の山すそ、東山、腐ケ峰など、道路に車をとめて、そのまま近くにある材料である。さて、ここに掲げた写真は、山百日紅に白つばきの盛花である。花器はフランス陶器のサラダボール。百日紅の紅の枝線を通して見る、濃い緑の葉、花の白、緑色の花器、美しい配色である。山百日紅の枝の線を見せるために、足もとをすかせて水際(みずぎわ)に特長を作った盛花である。明るい形と品格のある盛花といえる。山百日紅.... . f"'l 冑記r-1S毎月1回発行桑原専慶流編集発行京都市中京区六角通烏丸西入山百日紅桑原専慶流家元1967年12月発行No. 57 いけばな

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