テキスト1967
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京都六角の私のけいこ場へ、男のお弟子さんが5人ばかり、いけばなの稽古に出席する。羽う人達は、大体、婦人が多いためか、いろいろな疑問があるのに中々質問をしない。大分以前だったが、これも男のお弟子に「すこし質問をする翌恨をおつけなさい」といったところ、「先生、私は質問しようにも、質問する問題さえも、まだ、つかんでいません。質問するには、もう少しわかりませんとねえ」と、逆襲された様な言棠をうけて、そんなこと、と思いながらも、なるほどこれにも一理があると、いささか専渓憮然としたものでした。さて、この10月に入ったある土靴H、お弟子のN君から典味のある質問をうけた。N君は二十幾オの杓い男性で、捨古を始めてまだ、一年ばかりなのだが、大変熱心な人で、自分の活ける花については、徹底的に考え考えて、技術的にも実に精密に、小さい枝葉に至るまで、見過すことのできない性格の人で、出席率もよく、全体的に見て俊秀な仕徒の一人です。花道に関しては盟かな将米性をもつ人と、私も大きい期待をよせています。このN君が息いがけなくも、こんな質問を提出しました。その日は、N君が特に大きな壷を選んでつげ、ななかまど、菊、りんどうの4種を、近頃にない見消な出米で、活け終つた後でした。その花はたっぷりと大こ。t 「先庄、先生はこの私の作品を、きい作品で、花展にもそのまま出品できる様な、力のこもった作品でしよく出来ましたとほめて頂きましたが、私は自信もありませんし、先生のいわれる。よく出米た、という程度は一般的に見て、どの位いの程度であるのか、それが不安なのです。勿論、さきほどより、枝葉のたりないところ、さらによくするにはどうすればよいか、などと教えて頂いておりますが、もう一っ突込んで、私の活けたのが、どの程度によいのか教えて欲しいのです。厚頻しい言い方かも知れませんが、お願いします。」こんな要点であったと息います。私、さきにお話しました様に、お弟千よりの質問については、特別の村-J を1本、組み合せて瓶花を作った。9月のすえ、すすきの尾花の美しいものを6本、色づいた柿の枝花器はグレーと渋い緑色の、変形の陶器である。柿の枝幹の間にすすすきすきを前後に重ねて挿したのだが、二秤て仕上げたこの瓶花は、少し淋しげに見えるが、実際には柿の黄紅が強く見えて、かなり厚味を咸心じられる0晩秋の野趣といった感じの瓶花である。関心と、興味といつては悪いと思いますが、それに似た期待をもつているものですから、突然「柄古の一ばん大切な問題〕にふれた、N君の言葉に、慇動を覚えるぐらいでした。‘私はすぐ答えました。「これは密うものの一ばん知りたいところですし、りにもなることだから、卒直にお話しましよう。」あなた知つている様に、羽1いごとは、どのくらい熱心にやつても、すべての理解と、技法を修得するには相当の長い期間がかかるものです。車をひいて坂を登る様にという言葉は、視代には適切ではないが、徐々にたゆみなく進まねばならないし、停止することがあってはならない。その間に技法の勉強と、それを理解しようとする心の積み直ねによっ今後の柄古のたよて、段々とその人のいけばなが向上して行くものです。教える側の先生は、その門弟の技術が向上するにつれて、一段一段と高い段階に引き上げるために、教授の方法を高めて行きます。秤古に活ける作品も、凹弟の向上するにつれて、その批評がきびしくなつて行くのは%然であります。いいかえれば、先化の門弟の作品に対する批判は、羽いう人の技術と即解の程度にあわせて、少しでも向上する様に、向上の歩閻をあわせて段々ときびしくなつて行くことになります°勿論、密う人逹は数の多いことですから、その個人の研修の年間と、その努力によって俊劣のできるのは当然であります。今、あなたの作品が俊れていると賞讃したのは、これは、あなたの修業の段階を考え合せて、優れているという意味であって、これを花道全般から見て、どの程度かという、あなたの質問とは少し線が迩つています。しかし、あなたの質問を、索朴ではあるが、純粋なものとうけとつて、正しい答えを出すことにしましよ入っ゜さて、作品を批判する場合には、その作品の飯劣をきめる尺度が必要となつてきます。勿論、あなたもご承知の様に、それをきめる尺度は、2 ある質問

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