テキスト1967
77/100

私の身体は前も後もすつかり白い栃につつまれて、足もとの草の道が少し見えるだけである。風に流された霧が早い速度で動いて行く。時々、ざあっと音をたてて斜の小雨が私の身体に吹きつける。霧の雨である。やがて、その〔籾のきれめに緑の木の葉が見え、白い花、紫の花の色が見えかくれする。比良の登山は、この夏に入って三霧に咲く花桑原専渓回目である。今日は九月三日だが、江若鉄道の北比良駅で下車して、登山口の「大山口」の谷あいまでは、残夏の暑い陽の中を歩いて来たのに、山へかかると間もなく、霧につつまれて、やくもが原のこのあたりは、すつかり雨雲の中である。ただ一人の気軽さに、谷川のがれ道を登つて来たのだが、ここまでくると、人の姿も見えず、ただ辺りは静かに、鳥の鳴き声もきこえない。霧と風雨の中を黙々と歩-v-o秋ぐちの比良の山はほとんど霧の雨である。その上、道が複雑に岐れて遭難の人も多いとのことである°道のめ.. じるしのために持つて来た、オレンヂ色の紙片を、道の分岐点などに点々とまき散らして歩いて行く。二時間ほど登ると、八雲ケ原の盆地に入る。山の峰を越えてだらだら下つて行くと、谷あいのひろびろとした平原に入って行く。「やくもが原」ー—まことにこの名にふさわしく、ひろびろとした静けさである。はるかの山すそまで連った、草野原の中に、二尺ほどの細い小川が流れて、緑の樹でおおわれた沼の中へ入って行く。芝生の様な緑の草が、めじの末まで茂つて、この小川には紫赤のみぞ萩の花が流れ.. よにそうて咲きつづいている。ま反には、この沼にがまが一面に生い茂り、白花のすいれんが咲く。さわぎきうの青く紫の花が水の流れにゆれ動きながら咲いているのも美しく清らかである。突然、白い心籾の切れめに見える紫はとりかぶとの花。白くなびいてゆれ動くのは白花しおんの花の町りである。河原なでしこの紅、黄色の花の秋のきりんそうはすそもとの雑草の緑の中に点々と連つて咲いている°沼とらのを、男めし、栗の実、早い紅葉の樹々の葉。山の秋はまことに美しいが、霧の中にみえかくれする花の美しさは、静かな色彩に動きをそえて、幽玄の境地に私をみちびいて行く。n籾の中に咲く花は詩的に美しいものである。私はこれまで、山の花を見るために、所をかえていろいろな山をめぐり歩いた。そのたびごとに目にふれた花の記録が2冊のノートになつている。その中に、初秋の比良の花を記したものがある°抜き書きしてみよう。男めしとりかぶと河原撫子白花しおんみぞはぎ白山菊沢桔梗りんどう菖蒲の実夕すげきりん草ききよう以上は、この季節の花のうち、いけばな材料に適しているものであるっ(8月下旬より9月初旬)栗みつば楓沼とらのを野菊女郎花岩かがみ..... .... ... .... . 毎月1回発行桑原専慶流No. 55 編集発行京都市中京区六角通烏丸西入観賞とうがらしの実は緑と赤の丸い粒,光沢のある丸い玉が群つて美しい。ひまわりの黄と褐色。花器の黒色。新しい感覚の作品である。桑原専度流家元1967年10月発行••••• いけばな

元のページ  ../index.html#77

このブックを見る