テキスト1967
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今日は約束の日である。例年の様に蓮花の水揚(みずあげ)の研究会をひらくことになつている。今日は8月3日、真夏の午前4時だが東の空もまだうす暗い。とにかく、まだ初発の電車も動かないし、予定の如く、自転車の後部車輪の両側に、手桶を二つくくりつけて、水揚に必要な道具類を荷造りするのも忙しく、大急ぎで出発する。七条のガードを渡つて、稲荷から市電の線路に沿つて走る。棒鼻の悟真寺の池へ行くわけである。ごみごみとした伏見の町を曲りながら目的の池へ着いたのは5時少し前であったと思う。朝もやが池のおもてをしらじらと、おおいかくす様にたなびいて、その中に蓮の花が白く見える。段々とうす明りにあけてくると、ここは町はずれにある寺の前に、一町歩ばかりの蓮池である。あおあおとした蓮の葉が、池いちめんにひろがつて、紅蓮白蓮が、数百本も花を浮かせて、みずみずしい香りがただよっている。お寺へは前日に承諾が得てあるし、ほっぽつ荷物をおろしながら準備を始めていると、打合せた様に、(むかしむかしのお話)研究会の連中がぽつほつと集つてくる。どれも自転車にジャンバー姿といった調子で、男だけの15名ほど。まず、池へ入る姿をととのえる。厚手の長い。ハンツにゴム長の●いふちの麦わら帽子、手にははさきの短い鎌(かま)をもつて、池へ入つて行く。ざあっという音とともに、夏とはいえ、早い朝の冷ぇ冷えとした水が靴の中から腰までずぶぬれて、池の中へかきわけかきわけ進んで行くと、一めんの蓮の葉がゆれ動いて、大きい葉にたまった露水が、時々ざあーと音をたてて、頭の上から落ちてくる。池の畔からみると、それほど背高く見えない蓮の葉であったのに、さて、その中へ入ってみると、頭の上をはるかにそびえて、私達の身体は葉の群の中にすっぽり入っしまう。あおあおとした蓮の葉とくき、その群りの中はジャングルの様に足のふみばもない。左右に葉をかきわけながら、花の咲き具合の手頃なのを見つけては切りはじめる。中開の花、堅いつぼみを30本ばかり、葉は黒々と見えるほどの青い葉の、しかも、葉の姿塾のよい、軸のまつすぐなものを選んで切り倒して行中へ、腰のあたりまで池水につかりながら歩くのだから大変である。時<゜ なにしろ、泥池の蓮の乱れた株の々、蓮の葉のたまり水がざあーと音を立てて首もとから背中へ落ち込む。ううつと身ぶるいする様な気持ちの悪さである。靴の中へもだいぷ泥が入っているらしい。足が泥の中ヘめり込んで簡単に抜けるものではない。一足一足と重い足を抜いては進む。右へ行き左へ廻り、葉のしつかりしたもの、花の美しいものと、上の方ばかりに気をとられて、ざぷつ、ざぶつと抜き入れ抜き入れする足もとが、今にも倒れそうに危い調子である。見渡す限りの蓮の葉の群りの中にも水揚げのよいのと、全然、駄目なのがあって、それを現場で選択しながら切りとるわけで、一ばんわかりやすい標準は、池の中で姿勢の正しい格好で生育している葉がよく、採集のとき、葉軸を軽くたたいて、頭のふらつく様な葉は不良、葉の傾いているもの、葉色の黄ばんでいるもの、葉の薄く似ついている様な葉はいずれも不良の葉で、はじめから切らない。葉の厚味のある黒々と青い葉、なおその上に、活け花として形のよいものを選択しつつ切つて行く。やがて百枚ほども切りとったであろうか、朝の陽ざしがさして来る頃となったので、切りとった花と葉を運ばせながら、池の畔へもどる。ふと気がついて、私の身体を見つめて50枚ばかりを水揚して冷水にうつみると、顔はすでに泥まみれ、肩から足もとへかけてどろんこの有様、その上、蛭(ひる)が吸いついて血と泥との混合である。ふた目と見られたものではない。それでも、すきなればこそ、これも計算ずみと勢よ<池をあがつて、それよりも、少しも早く、切りとった材料の水揚をせねばならぬ。池へ入ったのは私とA君とB君。その他の連中は見学と手伝役である。池の端で大急ぎで、蓮の足もとを煮る作業にとりかかる°私の腕は蓮の茎のとげで無数の切りきずが、ひりひりと痛い。すでに、持つて来た水揚用のこんろが、ふつふつと湯をたぎらせている。熱湯の中へ薬を入れて、幾たばにもたばねた蓮の足もとを次つぎと煮いて行く。長さはすべて6尺ばかり、悪い葉を捻てて、厳選した葉をし、暫くの間花材を休ませる。この問が私達の休息の時間でもある。すでに午前七時になった。まもなく、あわただしく荷造りをする。自転車の両側にくくりつけた桶に水をたっぷり入れ、それへ、蓮の花葉の包装したものをつけて、そのまま六キロの迫を私の宅まで走り込もうという作戦である。時間が経過するほど水揚が悪い。少しでも早く、陽の強くならない涼風のうちに、運びつけることが一ば.. ん大切なことで、5人の自転車が一せいにスタートを切った。全くこれはいけばなマラソンである。自転車の上に6尺ばかりのかさ高い紙包みを立てて、しかも、手桶の中の水をちやぶつかせながら走る5人の男は、のどかな時代とはいえ、随分、奇妙な惰景であったに違いない。一時間ばかりして帰宅すると、とにかく花材を水ためにつけこみ、すぐさま活け花の用意をする。一度、足もとを煮たものは、活けるときに足もとを切らない。花器は深みのある、大ぶりの壺を選んで、10瓶あまりを手早く活けはじめる。午前9時に終了して、壷に活けた蓮花を座敷にならべ、一同揃つて朝食をとる。こんなに努力をして活けた蓮花も大体午後3時頃まで保つのが普通である。これで成績は最上というのが、幾年も苦心したその道の経験者の定説となつている。勿論、活け上り五尺程度の蓮花の場合である。庭の鉢で栽培した辿は、比較的みずあげがよい。しかし、その頃の蓮花の水揚を競っ会は、大きい作品を標準にしておったようである。さて、以上は今から四十年ほど以前の、むかしむかしの話である。古くさい話だが、いけばなの中にはこんな時代もあって、花道修練の―つの行事でもあったというお話である。(専渓)8 き切て. 、.. り蓮鼠

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