テキスト1967
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花背峠でバスをおりて、山嶺の細い道を右にとつて行くと、この道は私ひとりが歩ける程度のわびしい道である°柚みちというのであろう、ほとんどあう人もなく、やがて大見まで約4キロほどの山てんの小径がつづく。この辺りは背高い樹林もなく、つつじ、あせびなどの潅木と、一めんに枯れたすすき原をとおして、京都の町なみがはるかに見える。花脊峠から山狭の村大見へ行き、更に山を越して小出石から大原八瀕へ行く。これは京都の北山の、まだ静けさを味わうことのできる道であろう。花をもとめて桑原専えさくら数年前のことだったが、その年の春も深い4月の末に、「シャクナゲ」の野生地をしらべようと、北山方面を歩いたことがあった。私は自分の職業柄、野生の珍らしい花をさがし出すことに興味をもつているのだが、その季節や野生地の状態などをしらべているうちに、いつしか山歩きが趣味となった。シャクナゲはそんなに珍らしい花ではないが、私はその大群落を見つけ出したいと、その季節に歩くうち、ちょうど3年目に小出石の谷あいで希望のシヤクナゲ谷を見つけ出した。この花は陽あたりのよい場所にも咲くが、殆どは日陰の樹林の中に大集団をつくつて、咲く性質をもつている。谷陰の雑草の身たけを蔽う様な場所にわけ入って、漸くみつけ出したのだが、全面、杉林にかくれた斜面に、それこそ見渡すかぎり、ぎつしりと押しつまった、淡紅のシャクナゲをみつけだした時は、実に嬉しかった。山の斜面に上から下まで垂れる様に野生した、直径10センチ程度のみきが、谷へ向つて足のふみ場もないほど、おおい茂つて桜に似た美しい淡紅色の花がひしめきあつて咲いている。実に唖然とする美しさで約る°恐らく数町にも及ぶ大群落であった。その翌年の同じ日、その美しさにと思っ。ひかれて、ふたたびその場所へ行ってみたが、しやくなげの木は同じ様にありながら、花は―つも咲いておらない。勿論、つほみもなく黒々とした葉が群つているのみだった。あまりのことに私は腰をおとして考え込んだのだが、漸くこれは毎年つづけて咲くものでなく、隔年に咲く習性をもつ花であることがわかった。お室の里ざくらが終る頃になると、私は、北山に咲くシャクナゲを想い起す。隔年に咲く花であっても、私のまぶたの中にはその委節になると美しい淡紅の花が、一ばいに咲くのである。花脊峠を大見に向つてぷらぶらと、平らな道を2キロほども歩いたこの辺は潅木の高原が続いて、丘と丘の間を細い山道が一本とおつている。どこまでもつづく分水嶺の道を小一時間も歩いた頃、私はふと、道の向うになんとなく異様なものをみつけた。急ぎ足に近づいて見て、思わずあっと声をあげた。道のまん中から両わきの五尺ほどの土の盛り上りに、これは物凄く大きい蛙が数百匹ほども集つて、歩くすきもないほど、ぎつしりと押しつまつて群つているのである。こんなのを「がま」とでもいうのであろうか、黄褐色の背がぶくぶく、。しとして、15センチほどの大きさの蛙が群つて、殆んどじつと身動きもせずひしめきあっている。ここは少しの場所が水溜りになって、それへ産卵しているのである。寒天をとかした様な半透明の胚卵を道一ばいにひろげて、その中に黄色い蛙が所せましと集つている。道は大見への一本道である。どうしても私はここを通らねばならないのだから、やがて、この蛙の大集団の中へ足を踏み入れて歩き出してみると、この数百匹の蛙どもは一せいに腰をあげて、凄い態勢をつくりながら、不意の闇入者である私をにらみつける。とにかく通路にいる奴を片っぱしから靴で蹴上げて、恐る恐る歩き出してみると、飛ばされた蛙は大きなからだを裏向かせて、白と紫の模様のある腹部を見せて、いよいよ騒ぎが大きくなった。蛙どもは異様な臭気をただよわせて、私につめよる様に、無抵抗の迫力をみせはじめた。やっとのことで逃げ出した私は、全く顔色がなかったに追いなその翌年、ちょうど季節も同じ五月のはじめ、この道を通った。昨年のこともあるので不安に思いながら、この道を歩いて行った。ちょうど昨年と同じ水溜りに、同じ種類の蛙がやはり数百匹ほども大群衆をつくつてひろがつている。季節も同じ頃であり、水溜りのある場所は、恐らくここだけなのであろう。それをじつと見つめながら、彼等の大切な縄張りに踏み込んで行く私は、恐らく彼等にとつて憎らしい聞入者に間迎いなかろうし、また私にとつても、気持ちの悪い住民どもと、お互いにゆずることのできない反感が生れるのだった。6月から9月へかけては、いろいろの山の花が咲く。五月の山つつじ、雪やなぎ。こでまりの野生を宝塚清荒神の山すそで見つけたが、淀川の堤の草藤は栽培のものと同じ様な美しい花であった。比良の白山菊、男めし、とりかぶと、伊吹山のしもっけ、かんぞう、山手まり、撫子、くかい草、からまつ草、宵待草(夕すげ)しようぶ、すいれん、秋のきりん草、りんどう、女郎花、われもこう。貴船の奥で見たやぶれがさ、はないかだ、がんびなど、いろいろな花が咲く。八月には、ためともゆり、鬼ゆり、姥ゆりなど、百合の類は吉野山糸に多い。湿地帯では、五月のかきつばた、夏のがま、みぞはぎ、こうぽねなど、いずれも野生で咲く花である。山野の花、河川に咲く花をさがしもとめて歩くのは実に楽しい。時々、綾、青大将、蛙や山犬に出くわすけれど、いつしかそれも忘れて、山を歩く私である。8 山花の季節渓

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