テキスト1967
67/100

このごろの花は水揚がよくなった。四季を通じて、日持ちのよい材料がふんだんにあるから、水揚の悪い花は敬遠されるようになった。ひと昔前までは、夏になると切り花はしおれるものが多かったが、最近は園芸が発達して、水揚の悪い様な品種はほとんどなくなり、また、すぐしおれる様な花は花屋でも売れないためか、園芸の品種改良が盛んに行なわれ、例えば夏の菊でもダリアでもよく水揚げる材料が出廻つている。勿論、現在でも夏の草花材料で水揚の悪いものも相当ある。例えば、若葉のかや、蓮、河骨、浜荻、はげいとうの様に、昔からの方法で水揚をしている材料もかなりある。しかし、けいとう、菊の様に品質が改良されたがために、水揚の心配の要らなくなった材料も数多くある。また、水揚に対する考え方も以前とは、大分変つて来たと思う。昔は、花を永く保たせることが、いけばなの技術であると考えられ、もちにくい花を、技術で永もちさせ、それを自慢の種にする時代があった。時として趣味の人達が集つて、水揚のコンクールの様な競技会もひらかれた時代もあった。今日でも、いけ花を永もちさせる花材の扱い方ことを願うのは当然のことである。また、水揚のよい様に種々な方法を加えることも、当然行ななわれているのだが、材料が改良されて特殊水揚法をせねばならぬ様な材料が少なくなったために、それに関連して私達の水揚に対する考え方も、簡単になり、例えば、「水切り」「足もとを煮る」といった程度の一般的な方法で、大部分が処理できる様になった。それよりも、新鮮な材料を選択して活けること、材料の品質の良いものを選ぶこと、この考え方に重点をおくのが最も必要なことである。また、活けてからしおれたものは、花器から抜いて水切り、焼くなどの方法を加えて、再生させる(手入れ)ことを、是非、やってほしいと思うのである。同じ教場で同じ花材をABの2人の人が活け、帰宅して活けたとする。Aの人は活けるとまもなくしおれ、Bの人は5日間も清々としてよく水揚げたi特に水揚のむづかしい材料の場合は当然、こんなこともあり得るが、それほどでもない材料なのに、こんなことがよくある。これを考えてみるのに、花器の水の入れ様が少ないのではないか、風あたりの強い場所に置いたのではないか、浅い水盤に入れたのではない「焼く」という様なことがある。か、そんなことが考えられる。また、たとえ急にしおれることがあっても、そのまま駄目だと捨ててしまう人、しおれた花をもう一度、花器より抜いて水切りをし、(ほとんどの材料は回復する)しゃんとしてから、再び活けなおす人、この辺が大分違う様に思える。切りたての新らしい花を活けても、すぐしおれることがある。これは花が駄目になったのではなくて、活ける時間や、扱い方の如何によっては、案外早くしおれることがある。新しい花材は、(水切り)焼く)などの方法で、すぐ回復して水揚げるものである。要は活ける時の扱い方も大切だが、活けてから後の考え方も大切である。水揚の悪いと思う材料は、枝葉をできるだけ少なくすることである。枝葉の多いことは、水分をそれだけ多く配給せねばならぬから、吸水力の弱い花材は中々大変ということになる。夏の花材には特にそんな考え方もいる訳である。堅い木質に柔かい若葉のあるもの、細い茎に大きい葉の草花、茎の柔かく太い水草の類、竹、はまおぎ‘すすきの様に堅い質のくきに薄くするどい葉のもの、こんな性質のものは葉の水分も少なく、水揚げが難しし‘・o (足もとを7

元のページ  ../index.html#67

このブックを見る