テキスト1967
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美しく、配色が優れているということは、当然必要なことであるが、その上に、その作品の中に、常に新らしい「創作への努力」がなされておることが大切である。なにか新しい工夫があり、見る人に感動を与える様な、そんないけばなを作りたいものである。これは、古瓶花盛花を活ける場合に、技巧が同じ材料でも活けるたびごとに、新しい工夫を(創作への努力)典といわれている立花でも、生花でも、古い形式の中に新鮮な表現の方法を加えて作ることが必要であって、ことに、現代のいけばなといわれる瓶花、盛花の場合は、一屈その考え方が重要になつてくる。花迫の中に「前衛作品」といわれるものがあって、これは、瓶花のいけばなの世界を超越して、彫刻的な考案と手法による造形芸術であって、新しい作品というと、直訳的にそれだと考えられやすいが、そんなに飛躍しないでも、私達が平常に活けている瓶花盛花の中に、研究を必要とする部面がことに多い。藤の実、また、新らしい工夫や創作という考え方が悪く解釈されて、花材に若色したり、品位の悪い低俗な意匠的なものになりやすい。格調の高い作品の中に、新鮮な表現のある作品が最も望ましいことである。そんな意味で、ここに―つの作品を作った。私の考え方をよく理解してほしい。山藤の実(ふじ豆)を七本ほど、無駄な小枝をとり去つて、手にとつてながめてみる。どの枝もぶらぶらと実が下つて、自然趣味の深い風雅な調子の材料である。普通の場合はカシワゴムの瓶花この枝振りを配置して、菊、百合などをつければよい調子になるのだが、この場合は、この枝振りを見つめながら、なんとかこれで新らしい調子が作り出せないものかと、考えて見た。七本のうち三本だけそのままに残して、四本の枝の実をすつかり切り落した。落ちた実は十五、六個もあっただろうか、この実を一本の藤の木ヘハリガネで結びつけて、重ね合せて寄せあつめ、棒状の中に組み合せの変化を考えながら、くくりつけて行った。どうなることかと、はじめは自信がなかったが、段々できあがつてくると、普通に枝をぶらぶらさせたのとは、断然ことなった変化のある味わいができてきた。これは面白いと、花器(褐色の備前焼の壷ー備前焼でも作家によってはこんな新しい壷がある)に立て、別の枝を後方に添えて、前へは出ないが後方のみ枝が出る変った調子に挿し、花器に安定させた。カシワゴムの大葉3枚を前方と左方へ並べて挿し、前の足もとの見苦しいところを、かくす様にして挿した。ハリガネでくくったところを見せない様に考兄たが、でき上つてみると、新らしい感じの作品となった。.... No. 53 毎月1回発行桑原専慶流編集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専殿流家元1967年8月発行いけばな

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