テキスト1967
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6月に入ったはじめのお稽古日に笹百合を活ける。いつしか花菖蒲からすいれんの季節となり、笹百合のさわやかな花と、笹の葉に似た緑の葉の手ざわりに、しみじみと季節のうつりかわりを感じる。陽あたりのよい山野原に、低いかんほくや雑草の中に咲く笹百合は、野生で咲く花のうちでも、一ばん風雅に美しい花であろう。細々とした茎のやさしさと、清らかな花の色は、四季に咲く多くの花の中でも、秀い桑原専渓でて趣味の深い花といえよう。私は春の花々が終つて、やがて初夏の季節に入ると、どの花よりも笹百合の山の香りを待ちわびる。壷に活けても篭に入れても、しつくりと落ちついて、自然の雅趣を感じる花である。しみじみとこの花をながめながら、四季の花のいろいろを思い浮ベて、冬の花、春の花、秋の花と考えてみると、季節の花のうちに、いかにもその季節の味わいを深く感じることのできる花が数々あって、あらためてその花を想い起すのも、いけばなをする人達には無駄でない様に思うのである。この頃は、園芸技術が進歩して、温室栽培、抑制栽培、暖地冷地栽培などによって、がわからない様な花が段々増して来た。例えばの様に、私達がいつも手近かに活ける材料で、四季を通じていつでも見られる材料が多い。菊は夏菊、秋菊と区別のあった頃は、すでに遠い昔のこととなつて、雪の一月に大輪の菊を活ける時代となった。それにひきかえ、春夏秋冬の季節に正しく咲き、しかも多くの花の中でも季節感をしみじみと味うことのバラ、キク、テツボウユリ、ユキヤナギ、グラジオラス、カーネーション、アイリス、ヵュウそのほんとうの季節できる様な花を考えて見ると、椿、海、桜、うめもどき、猫柳、牡丹、しやくやく、かきつばた、菖蒲、笹百合、桔梗、すすき、てつせん、女郎花、なんてん、せんりよう、新緑の木々、睡蓮、あじさい、すいせん、りんどう、麦、けいとう、あさがお、柳、紅葉、さんきらい、はげいとその他いろいろあるだろうが、以上にあげた様うつ。な木もの草花は、いずれも自然の季節に咲き、多くの花の中でも、季節の味わいを深く感じることのできる草木である。仙の初花を見て、私達は冬の到来を感じるに違いない。猫柳の実のふくらみは切実に春の来ることを感じさせる。女郎花、ききよう、すすき、りんどうの初秋°けいとう、さんきらいの実のいろどりを考えると、新秋のさわやかな冷風を想い起すに違いない。私は、ここに数々の花の名をならべて花と季節のことを述べているが、これらの中には、ことに季節感が深くあり、その季節感というその思いは、ただに季節に咲く花という表面的なことだけではなく、花を活ける人達が、その花を見、味わい、或は想い起すことによって、その季節の自然と、その中にある詩的な味わいを、感じとることが大切だと思うのである。笹百合の咲く頃の私達の生活、緑の麦を活ける頃の春の情趣を深く深く味わうところに、いけばなの楽しさを感じることになる。これは現実にその花を見なくとも、その名をきき、口にすることによって、なんとなく、そのやさしさを感じるものである。これが風雅というものであろ11月に入って椿の早咲の花や、水季節と花毎月1回発行桑原専慶流編集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元1967年6月発行No. 51 いけばな

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