テキスト1967
37/100

となく豊かな感じがする。満開の牡丹が庭に咲き群つている姿は、まことに豪華の一語につきる。じめ、こでまり、やまぶきにつづいて、やがて牡丹の初夏を迎える様になった。の名所が、由緒ある堂塔を背景にして、ことにすぐれており、また東北地方の須賀川の牡丹園が名古向い。阪急電車宝塚線の山本駅を下車して一丁ばかり行くと、牡丹園という植木屋さんがあって、そこには約一段歩ほどの牡丹畑があり、季節になると、日本種、洋種の牡丹が咲き揃つて実に美事である。紅白、淡紅、紫赤、黒く赤い黒色ぽたん、淡黄の花など、数十種の花が豊かに咲いている。まことに百花の王というにふさわしい美しさである。のうつりたる」という旬があるが、まことに妖艶というにふさわしい花ともいえる。ぽたんという言葉にさえも、なん桜が終つて、かきつばたが咲きは牡丹は大和の初瀬寺、当麻寺など虚子の俳句に「白牡丹いずこの紅桑原専渓牡丹、花道の古書をしらべてみると、牡丹は百花の長であり、高貴の風格をもつ花として、四季の花の中でもとりわけ尊敬の心をもつて活ける様に教えられている。活ける場所や花器にも品格を考えること。また活け方やその花形にも特別の扱いをする様になつている。立花時磐粧に牡丹は別の名を芍薬」といい「群花品の中に牡丹を以て第一とす、故に花王という。その花芍薬に似て、宿幹、木に似たるを以て木芍薬と名附く」「牡丹は花王という名を尊び、高位高客の御方、宗匠の外、すことを許さず」「古代は花大切なる故、木を残して茎より切り、筒に入れて用う。」などと、中々むづかしいことが書いてある。以上は伝統の立花に対しての考え方なのだが、その後に始つた生花にも、この考え方が延長されて、牡丹を活ける場合には、特別の「木注意をもつ様になった。これは掟として考えると、窮肘に思えるが、実際に括花する場合には、牡丹は品格のよい花器でないと調和が悪いし、牡丹の豊かさ、美しさを作ろうとするには、落着のあるたっぷりとした花器でないと調和しにく門弟の指牡丹とくさ青磁、藍絵、やきしめ、てつしやの花瓶の様に、伝統的な味の陶器が一ばんよく、どつしりとした形の壷に、皿芸かに活ける形が牡丹らしい味のある瓶花であろう。ほとんど一種挿しに活けて、もし、あしらいを添えるのであれば、牡丹の品位をこわさない材料を選ぷ様にしたい。老松に牡丹は昔から調和のよいものとされているが、或は山梨の芽出しや、山木の老幹、青楓に牡丹などよい調和であろう。牡丹はみずみずしい緑の葉がたっぷりと、下葉のひろがった形が牡丹らしくてよい。花の立派であることは望ましいが、葉も豊かな材料を選んで活ける様にする。花屋の牡丹には古ほくの添えてあるのを見かけるが、ぽくを添えなくともよい。ぽくを入れると品格がさがる。すいれんを買うと、花、ひら葉、巻葉と揃えて一とくくりに束ねてあるので、必ず巻葉を使わねばならない様に思われるのだが、この場合も巻葉を入れると、品がよくない。要するに出米土りの清楚で上品である様に、材料の使い方を考えることである。。' 毎月1回発行桑原専慶流編集発行京都市中京区六角通烏丸西入桑原専慶流家元1967年5月発行No. 50 いけばな

元のページ  ../index.html#37

このブックを見る